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このコーナーは『虹の学校』が提供する資料室です。霊性向上に役立つ書籍や、ムービー、魂に沁みる歌などを紹介しています。
 

情報というものについて

今の世の中は、ありとあらゆる情報で溢れかえっています。それらを入手する手段も、インターネットの普及によって、非常に簡易に行えるようになりました。では「情報格差」は無くなったのでしょうか? いいえ、むしろ鮮明化してます。現代の「情報格差」は、情報が届かないことではなく、それを受け取りにいく人間の「興味とスキルの差」の問題となっているのです。
 
情報(information)というものは、基本的に、その人にそれを受け取る準備ができて初めてもたらされます。英語の「in-formation」には、その人の構造(formation)の中に入る(in)という意味があります。つまり「情報」と「構造」とは、鍵と鍵穴の関係になっているのです。逆に言うと、どんなに有用な情報を与えても、受け取る準備がまだ出来ていない人にとっては、それは無用の長物でしかなく、みんな素通りして行ってしまうのです。同じ本の同じ文章を読んでも、アンダーラインを引く箇所や解釈が、それぞれで異なるのはそのためです。
 
それが意味しているのは、情報というものは、受け取っているように見えて、実は自分の中の「気づき」なのだということです。準備ができた鍵穴に、相応しい鍵がガチャンと嵌った時に「気づき」が起こるのです。ですから、今日理解できなかったことが、一年経ってから解るということがあります。今は興味を持てないことが、五年経ってから興味が沸いてきたということもあります。それは、準備体制というものが日々変化し、成長しているからです。ということで、気長に取り組んで活用なさってください。
 
また、本をお読みなる時には、サーッと通読するのではなく、1ページ1ページを納得が行くまで噛み締めて味わうようにしてください。その方が身につきます。大事なのは量ではなく、あなたの質的な変化なのです。
 

古典的な聖書や聖典について

今日、世界宗教となっている宗派の大部分は、今からおよそ2500年前に始まった「魚座の時代」の初期に登場したチャネラーによって説かれたものをベースに定着しました。今日からすれば、それはあまりにも古い時代であるために、すっかり神話化してしまい、それゆえ特別な価値を持ったものとして広く認識されています。
 
しかし、神の言葉を伝えるチャネラーは、いつの時代にも登場しているのであり、キリストも、釈迦も、ムハンマドも、みな我々と同じ人間であって、今の言葉で言えばチャネラーの一人に過ぎないのです。これは、彼らの存在意義を貶めようとして言っているのではなくて、そういうものだということを単に述べただけです。人間社会では、古い言い伝えだから価値がある、という思い込みが広く浸透していますが、それは正に思い込みに過ぎません。
 
我々が住む物質界には「時間」というものがあり、何事にも時間概念を被せて解釈しています。けれども、この宇宙の深層にある「真理」の世界、俗にいう「あの世」は、「無時間」の世界、別の言葉で言えば「永遠の今」の世界です。それゆえ、どの時代にあっても、本物のチャネラーであれば、必然的にみな同じことを説いているのです。違いはと言えば、科学の進歩度合い、その時代の人々の認識力や解釈力、社会体制やメディアの状況によって、言葉や、言い方や、伝達方法が変わるというだけです。
 
その意味では、近代あるいは現代に発せられたメッセージの方が、古い時代のものよりもはるかに優れているのです。しかし、一般にはそのようには見られていません。これは、宗教が権威化し、それに伴って聖書・聖典類も権威化されてしまったからです。
 
しかし、先に述べた理由に加え、古い時代にあっては、「真理」というものが時の政治体制を揺るがしかねなかったために、核心部分は記号化したり、隠喩的な表現を多用して隠したのです。これは後に、言葉の多様な解釈を生む原因となり、そのせいで同じ宗教内にもたくさんの宗派が登場することになりました。
 
そして今日では、各宗派が、それぞれ自分たちに都合のよい解釈をすることによって、「真理」そのものを歪めるところまで至ってしまったのです。その最悪の結果が、宗教戦争です。これでは、何のための宗教だったのでしょうか。
 
いま説明したことでお解りのように、古いものが正しくて、新しいものが偽物ということはありません。どの時代にも本物と偽物が存在し、見る人が見ればその違いが判るし、本物は時代を超えて、燦然たる輝きを放っているのです。
 
『虹の学校』としては、「アセンション」のために、あえて聖書・聖典類を読む必要はない、と言い切ります。権威主義は捨ててください。このライブラリーで紹介しているものを熟読するだけで充分です。そのほうが「真理」への近道です。研究のためにお読みになることは結構です。ですが、文言の「解釈」の問題は依然として消えません。むしろ、先に「アセンション」を達成してしまえば、聖書・聖典類に隠された意味がすんなり理解できるようになる、ということは請け合います。