研究図書 (基本図書を終えた人に)
ここに取り上げた図書は、「基本図書」を通じて得られた知識の、周辺部を補完するものとしてお読みいただければよいかと思います。「基本図書」を読んで、さらに興味が湧いた、もっと学びたくなった、ともし思ったら取り組んでみてください。
どれも良書なのですが、「基本図書」の冒頭の解説でも書いたように、この宇宙の成り立ち、霊的な世界の基本構造といったものを、先に理解していないことには、たとえこれらの書籍を読んでも、内容をちゃんと理解することが難しいのです。おそらくページをめくることさえ苦痛に感じるでしょう。
しかし反対に、ベースがしっかりできた人にとっては、次から次へと「なるほど!」と思わせる言葉の発見となり、きっとワクワクした気持ちと高揚感を得ることができるでしょう。結局のところ、すべては同じことを、手を替え品を替え語っているだけだということが、朧げながらもお解りになるのではないかと思います。
基本的に言って、真理を語るのに、「新しい語り口」というものはあったとしても、「新しい智恵」というものは存在しないのです。なぜなら、「真理」というものは無時間の場にあるからです。したがって、いついかなる時代にあっても不変、かつ普遍であり、不偏なのです。
ただ、われわれがいま住む物質界には「時間」がありますので、地球環境の変化、人間の生活と行動様式の変化、政治体制の変化、思想や哲学の変化、科学技術の発達度合いの変化、等によって人々の知識吸収の仕組みや理解度というものが違ってきます。そこで、その時代時代に、その時代の言葉を持ったメッセンジャーが繰り返し登場してきて「真理」の一端を説く、ということになっているわけです。
掲載した図書は、いずれも決して難解というわけではありませんが、いささか「知力」の発動を必要とします。「知力」の使い方にあまり慣れていない人にとっては苦痛に感じられるかもしれません。しかし人間、多少は背伸びをしてみなければ、霊性というものは向上していきません。
なぜ人間界に知性の高い人と低い人とがまだらに存在しているのか? それは、前世までのその人の学習態度の結果なのです。これまでの転生で「知力」の行使をなおざりにして、ただ目の前の出来事に一喜一憂し振り回されてきただけの人生だったから、今世での出発が低い知性から始めなけれならなくなったのです。
宇宙の出来事というものは、すべてが「因果律」から成り立っています。これこれこういう原因があったので、こういう結果になるということです。ですから、目の前にある出来事の「因果」をつねに考えるという癖をつけていかないと、「知力」が向上していきません。ただ目の前の出来事をサーフィンのように味わっているだけでは支配者の奴隷になってしまいます。今度の毒ワクチン騒動で、それがよく分かったのではないでしょうか?
ということで、「知力」を鍛えるためにも、若干の背伸びにチャレンジしていただければと思います。これを読まずして「アセンションはない」といったことではありませんが、これらに書かれてある内容が自分の中に入って来たときには、あなたは一段と高い飛躍を遂げているだろうことを保証します。
「多次元的存在」であるところの人間の真の本質を教えてくれる
セス・マテリアル
セスは語る
魂が永遠であるということ
個人的現実の本質
日々の問題を解決し、人生を豊かにするための具体的で実践的なテクニック
ジェーン・ロバーツ著
ロバート・F・バッツ記録
「セス・ブック」の邦訳は、これまでに3冊出版されています。邦訳としては3冊目に当たる『セス・マテリアル』は、原著としてはいちばん最初に出版されたものです。この本から翻訳者が変わり、活字も大きくなって、かなり読み易くなりました。これから「セス・ブック」を読まれる方は、この『セス・マテリアル』を最初に読まれることをお勧めします。
霊界の高次の存在(おそらく五次元の上位)であるセス(Seth/男性人格を有する)が、詩人で作家であったジェーン・ロバーツを媒体として、1963年から降ろして来た一連の資料(Material)を記録した本を総称して「セス・ブック」といいます。原書(英語)は、上下刊になっているものも含めて、全部で10冊刊行されています。
これを読んで「なぜもっと早くのうちに出会えなかったのか。そうすれば、回り道しなくて済んだのに」とも思いましたが、長い回り道があったからこそ、読み通すことができたのかも知れません。
世に、霊媒師とそこに降ろされた霊言はそれこそ数えきれないほどありますが、高いクオリティを持つ霊言は極めて少ないと言わざるを得ません。そうした中で、この「セス・ブック」は間違いなく一級の資料と言えます。現在、手に入る資料としては、最高の知性と言っていいと思いますが、それだけに読みこなす側にもそれなりの知性を要求されます。
高次の存在といっても、第五オクターブくらいにある存在は、まだそれぞれのパーソナリティを色濃く持っているようです。セスが何よりも素晴らしいのは、ユーモアを持っていることと、科学的であることと、全く宗教臭くないことです。それでいて、口述内容は正確無比、微に入り細をうがって本質のそのまた裏の意味まで、丁寧に解説してくれています。
私も、これまでの自分の理解の誤りに気づかされた部分が多々ありました。それほど深い、新発見の内容に満ちています。
ただ問題は、読み通せるかです。『セス・マテリアル』は500ページ、他の2冊は700ページに近い大著であり、また、文字を追っただけでは、とうてい内容を理解できないのです。文と文の間にある意味を想像したり類推しなければ、内容に迫ることができないような構成になっています。
逆に言えば、一回読んだだけでは解らない、何度も読書に向かわせる、まるでバイブルのような本です。また、それだけの魅力を持っていると言えるでしょう。
『セス・マテリアル』には、本書が生まれた経緯と、このシリーズを通じて繰り返し語られている本質、人間は「多次元的存在」であるという原点が語られています。
『セスは語る』は、魂の本質と宇宙(霊界)の構造について解説したもの。『個人的現実の本質』は、それを踏まえて、この世に生きる魂がいかに自分の人生を豊かにしていくかについて、そのアドバイスをしたものです。いま生き方に悩んでいるという人は、『個人的現実の本質』の方を先に読まれるのもよいかも知れません。
たとえ今読み通せなくても、10年後に理解が訪れるかも知れません。自分自身の魂の成長のバロメーターとして、持っていて絶対に損はないすばらしい本です。
魂の輪廻転生がどのようなプロセスで行われているかを詳らかにした書
死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」
死後の世界を知ると、人生は深く癒される
著者:マイケル・ニュートン
本書には、ヴォイス社から出されたものとパンローリング社から出されたものの二種類があります。内容的には変わりませんが、おそらく出版権が移ったのでしょう。
著者のマイケル・ニュートン(Michael Newton)は、カルフォルニア在住のアメリカ人で、心理学博士号を持つ催眠療法士です。
近年、トラウマを解消する手法として「退行催眠(ヒプノセラピー)」が注目を浴びています。それは、当初は潜在意識に植え込まれた幼少時代(インナーチャイルド)の抑圧体験に遡り、因果関係を明らかにすることによって解消を目指そうとするものでした。
しかし退行をさらに推し進めると、前世にまで遡行できることが確認され、東洋思想のカルマ論が西洋社会にもしだいに受け入れられるに及んで、トラウマだけではなく、病気や怪我と前世体験との因果関係も明らかにされるようになったのです。
マイケル・ニュートンはこれに飽き足らず、被験者と数多くのセッションを繰り返す中で、「死後の世界」の探求に乗り出し、驚くべき緻密さをもって「死後の世界」の構造をほぼ描き出すことに成功しました。
本書は、それらの「退行催眠」のケーススタディと著者による解説というスタイルを取り、死の瞬間から霊界への移行、霊界における学習、そして再誕生までを、段階を追って再構成しています。それだけに大変読みやすく、大部ではありますが興味をそそられる構成となっています。
霊界の情報を出来るだけ引き出すために、時に被験者を通じて被験者のガイド(指導霊)とコンタクトするなど、チャレンジングな試みも駆使しています。一方で、被験者やガイドになるべく負担をかけないような配慮も随所に見られ、研究者としての真摯な姿勢が伺われます。
文章も無駄がなく、翻訳もとても上手いです。「魂」は不滅であるということを理解する上で、これ以上ないテキストとなっています。
日本人にはあまり馴染みのないダスカロスの人物像と偉業を伝える三部作
メッセンジャー ストロヴォロスの賢者への道
太陽の秘儀
メッセンジャー 永遠の炎
著者:キリアコス・C・マルキデス
著者のキリアコス・C・マルキデスは、ギリシャのキプロス島の出身で、アメリカの大学で教鞭を執る社会学者です。この『メッセンジャー』シリーズ三部作は、同じキプロス島に居住して「真理のメッセンジャー」としての活動をしていたダスカロスことスティリアノス・アテシュリスとの出会いとその後を記録したルポルタージュ集です。
一応、キリアコス著とはなっているのですが、内容の大部分はスティリアノス・アテシュリスとその仲間たちの活動の観察記録となっています。
「ダスカロス」というのはギリシャ語で「先生」を意味し、それもかしこまった感じではなく親しげな呼び名として用いられているようです。ですから、「ダスカロス」という名は本来的には一般名称なのですが、ギリシャ語の名前はあまり馴染みがないし覚えにくいので、海外ではこの通称が本人を指す名前として定着してしまったのです。
キリアコスは、アメリカの大学に進学にすると、卒業以来そのままずっとアメリカで居住していたのですが、あるときダスカロスの評判を耳にして社会学者としての興味を大いに駆り立てられます。そこで同郷ということもあって、大学の休暇の時期を利用してキプロスに帰省しダスカロスと接触を図ることになるのです。
そうして出会った両者は、その後しだいに親交を深めていくことになるのですが、キリアコスにとってそこで目撃したものは、それまでの価値観を根底から揺さぶるほどの驚きの連続だったのです。しかしこの「縁」にも理由があり、のちにキリアコスとダスカロスは過去世から続く親しい友人関係であったことが明かされます。
本書は読み物としてもたいへん面白いのですが、スピリチュアル関係の書物としてみた場合のユニークな点は、これがダスカロスという人物の観察記録になっていることです。それによって、ダスカロスのフィロソフィーだけではなく、人となりまでもが鮮やかに浮かび上がってくるのです。
およそスピリチュアル業界において、霊能と理論と人間性の三つを兼ね備えた人物というのはまずいません。霊能を誇っていても理論が伴わなかったり、言っていることは素晴らしいのに裏の顔はまるで別人という人も少なくありません。そんな中で、ダスカロスはこの三拍子を備えた数少ないマスターだと言えるでしょう。
また、本書の優れた点は、著者が教養ある社会学者だということから、分析の視点が慎重で記述も精緻であるということもこの著作の価値を高めています。
日本ではダスカロスの名はほとんど知られていませんが、間違いなく隠れた巨星と言ってよい人物でしょう。ことに、「キプロス島」というところがミソで、キプロスはイエスの死後にヨハネが移り住み『黙示録』を著したところです。そのヨハネ(ギリシャ読みではヨハナン)の霊が、ダスカロスのマスター(Master of Master)として着いているのです。
そのようなわけで、ダスカロスが折に触れて語る言葉や行動を見ていると、マスターに値する人物が、実際にはどのような生活をしているのかということが彷彿として浮かび上がってきます。結論を言えば、同じ「人間」だということ。ただ、一般人よりは霊性の階梯のかなり先を行き、己が使命を果たそうとしているだけのことです。
一般に言われているグル(導師)は、いささか神秘性を被せられ過ぎていると思います。民衆との間のそうした持ちつ持たれつの関係を成立させているものは、やはりエゴイズムなのではないでしょうか。神(大宇宙)を考えてみてください。自分を誇ったりする神がいるでしょうか? それはそこにただ「在る」だけです。
神をそのような位置に祀り上げているのは人間の側なのです。結局、人間のいまの意識の投影が、そうした架空の神を創り上げている。それと同じように、グルに対しても、架空の像を持ちたいわけです。そこに持ちつ持たれつの関係をよしとする人物が程よく収まってしまうのです。しかしダスカロスは、呼び名こそ「先生」ですがその姿にはエゴイズムは微塵も感じられません。
ダスカロスは「真理」を説く理論家としても凄いのですが、スピリチュアル・ヒーリングの実践家としての活動も同時にしていました。あのハリー・エドワーズさえもが、ダスカロスからイニシエーションを受けていたということを知ったときには驚きました。
そして、このヒーリングに関する理論を、さらに詳細に精緻に解きほぐしたのがバーバラ・アン・ブレナンです。ダスカロスは、バーバラほどには詳細な解析をしませんでしたが、両者を読んでみると、そこにあるテクニックには共通したものがあることがよく解るのです。
一方の「真理」の解説に関しては、ギリシャ語に由来したダスカロスならでは独特の語彙を使っているので、いささか解りにくいとは思います。けれども、「基本図書」をじっくり読んでマップをイメージできるようになった方には、霊的界層の呼び名や分類方法に多少の違いはあったとしても、結局は同じことを言っているということがお分かりになるでしょう。
ということで、本書を入口にして、なお興味を持たれた方はダスカロス自身の著作に進まれていくとよいでしょう。
その段階に達した者だけが本書の中に師を発見できる
イニシエーション
エリザベス・ハイチ著
『イニシエーション』は『ヒマラヤ聖者の生活研究』と並ぶ奇書と言えるかも知れません。著者のエリザベス・ハイチ(1897 - 1994)はハンガリー生まれの彫刻家・画家で、その仕事のかたわら、魂の友人であるセルヴァラヤン・イェスディアンとヨガ・スクールを主催していました。
本書『イニシエーション』は、弟子たちに請われて執筆したとのことですが、その内容たるや驚愕的な秘伝によって満ち溢れており、とても片手間に執筆されたものとは思えません。おそらく、はっきりした役割と意図をもって、これが書き残されたとものと確信します。
原本が書かれたのは1953年ですが、まったく古さを感じさせませんし、この上ない知性と新鮮な驚きの数々は、まるで現代の私たちに向けて書かれたメッセージではないかと思うほどです。
内容は前半と後半に大きく分かれ、前半はエリザベス・ハイチの幼少期からの生い立ちが思い出として書かれています。が、これはこれで、見事な小説的筆致で書かれていて読者を飽きさせません。ところが後半から内容がガラリと変わります。きっかけは、約6500年前のエジプトで、自分がファラオの娘であったことを、そこでのある体験とともにエリザベスが思い出すのです。その体験こそがイニシエーションでした。
イニシエーションというのは、古代エジプトのピラミッド内にある石棺で行われていた、超人となるための儀式です。考古学者はピラミッドをファラオの墳墓であるとみなしていますが、神秘学ではそれは間違いであるということは常識です。ではどんな役割を果たしていたのか。それらの詳細と、深淵な知識が、ピラミッド建造の方法と共にエリザベスの口を通して明らかにされて行きます。
しかし、ここに書かれてあることは、単に興味を掻き立てられて読んでも、おそらく理解することは難しいでしょう(全部で700ページあります)。その意味で、本書は人を選びます。アセンションをそれまでに達成した者だけが理解できる、まさに次の段階へのイニシエーション(参入儀式)になっているのです。
「宇宙の法則」のほぼすべてが、1856年出版のこの書の中に説かれている。
霊の書
編者:アラン・カルデック
翻訳:桑原啓善
『霊の書』は、いわば「霊界」に関する法律事典のようなものです。「霊界」に興味を抱く人がおよそ知りたいと思うこと、疑問に思っていることのほとんどが、一問一答の形式で項目別に整理されまとめられています。したがって、この書が座右にあれば、疑問が湧いたときや確認したい事柄があったときに直ちに適切な解答を見つけ出せることでしょう。その意味で、本書を「必読図書」の欄に置きました。
しかし、入門書としてはいささか難しいかも知れません。と言いますのは、「霊界」の全体構造に関する基礎知識がないと、個別の項目に書かれている意味がよく解らないだろうと思われるからです。「霊界」の全体を網羅して、ていねいに解説がなされているのに、全体が解らないと個々の解説も解らないという、ちょっと矛盾した関係になっています。
これを打ち破るには、今は解らないとしても将来の日のために座右に置いておくか、あるいは何度も何度も読み返して少しずつ理解を深めていくしかないかも知れません。
この書がフランスで初出版されたのは1856年。その頃の日本はと言えば、幕末の時代でした。アラン・カルデック著ではなく編とあるのは、本書の成立が、霊媒を仲立ちにした「霊界通信」の内容をもとに編集されたものだからです。
アラン・カルデックは、医学博士号を持つ実証科学者であり教育学者でもあったのですが、50歳になってから突如として命を受け、霊的世界の真の姿を伝える広報マンの役割を果たすようになりました。
カルデックが執った方法は、仲間うちで降霊会を開いて、そこに霊を呼び出し、霊媒役を通じて霊に語らせたり自動書記させるというものでした。カルデックは、こうして集まったたくさんの霊界通信の内容を、項目別に整理し直して『霊の書』としてまとめ、後人の理解の助けとなるようにしたのです。
ここで先ず、二つの点から1856年という時代について考慮をしておかなければなりません。一つは、本書が「霊界通信」によって書かれたものであるということから、内容そのものについては、今日においてもいささかも古くはない完全な普遍性を持っているという点です。なぜならば、霊界には時というものが存在しないからです。
しかし、表現レベルにおいては、その時代の社会背景の影響を少なからず受けてしまいます。例えば、科学技術の発達度合い、民衆の生活状況、宗教的な背景、土地柄、人々の理解度、言葉、などです。したがって、本書を読む際には字義どおりに捉えるのではなく、両者を勘案して読み進むことが大切です。ということで、以下に幾つかの考慮点を挙げておきます。
先ずは、本書の基盤となっている大前提の考え方を「心霊主義」と呼んでいる点です。これは、カルデックが提唱した「Spiritisme(英語ではSpiritism)」に対して、桑原啓善さんがその訳語を充てているのですが、今日ではいささか古く感じますし、「Occultism」のニュアンスを与えてしまうように思います。
カルデックがこの言葉に込めた意味は、「霊界通信」によって〈霊的世界の存在が実証される得る〉といったものです。言い換えると〈実証される得る霊的世界〉といった感じです。ですから、敢えて訳語を当てるとすれば「実霊思想」といったところでしょうか。「ism」を「主義」とはあまり言いたくないので。
カルデックがそこにこだわりを見せたのは、当時の社会の「洗脳」状況を打ち破りたいとの思いがあったためです。当時のヨーロッパは、キリスト教と教会の権威がまだ非常に強い時代で、「霊界通信」などは神を冒涜するもの、悪魔の仕業などと非難されたり嘲笑されたために、カルデックとしてはこれに対抗意識を持たざるを得なかかったのです。
それより古い時代にも、同じことが「秘教、あるいは密教(Esoteric Religion)」とか「神秘学(Mysticism)」と言われて存在していたのですが、それらはごく限られたグループの中だけで伝承され、世間に公開されることはありませんでした。しかしカルデックは、それを初めて一般向けに公開しようとしたのです。
そのようなことで、本書の後書き(結語)を見ても、激しい対抗意識と当時の苦労とが見て取れるのです。が、今日的視点に立ったとき、霊的世界が存在することをあっさり認めてしまえば(もちろん今日でも、否定する人は大勢いるのですが)、もうそこに特別の思い入れを込める必要はありません。
ということで、「秘教」でもなく「心霊主義」でもなく、もうこれからは普通に「宇宙の法則」とか「真理」とか「新しい神学」と言うのが、私はよいと思うのです。カルデックの「Spiritism」については、そのまま「スピリティズム」としておけばよいのではないでしょうか。
次に、本書には「罪と罰」という言葉が繰り返し出てくるのですが、これは今日で言うところの「カルマの法則」の意味で使っているのであって、注意が必要です。
『虹の学校』では「宇宙には罪も罰もない」と言って来ましたので、それを覚えておられる方の中には「矛盾しているではないか」と思われる人がいるかも知れません。しかし、1856年当時は、「カルマ」の思想がまだヨーロッパに入って来ていなかったために、便法として「罪と罰」という言葉を使ったのだと思われます。
確かに、「因果応報」の仕組みは、その表れ方だけを見れば「罪と罰」と言ってよいもののように映ります。ですが、「罪と罰」と言ってしまいますと、いったい誰がそれをジャッジするのかという話になり、自分の外側に、裁判官としての「神」をイメージすることになってしまうのではないでしょうか。また同様の理由で、頻繁に顔を出す「正義」という言葉も、「法則(あるいは法)」という言葉に置き換えて解釈されるのがよいように思います。
『霊の書』では、「神」はまだ自分の外側にある存在であり、「Oneness」という考え方がありません。これはおそらく、それまでのキリスト教世界の伝統的思考法が残っているためでしょう。しかし、「罪と罰」という考え方は、「Oneness」の観点からすると、「神」が自分で自分に「罪」を着せたり「罰」を与える、というおかしな話になってしまいます。
このことは、ニール・ドナルド・ウォルシュさんの『神との対話』の中でも、「神が右手で左手を叩くというのか」という比喩を使って語られていますし、また「正義」の語も否定がされています。というのは、人間社会では「正義」の名のもとに行われる「悪」が多過ぎるからです。ですから、いくら「神の正義」と断ったとしても、ここは誤解を避けるためにも「法則」と言い換えたほうがよいでしょう。
しかし、「カルマの法則」は〈自業自得〉ですから、自分がしでかした自由意志の行使の結果を、自分が「報い」を受けることで「学習をする」ということになります。ここで、放蕩息子の帰還のたとえが生きてくるのです。つまり「神」は、包容力を持って我が子の放蕩を許してくださるということです。
この他、次の言葉は、今日的ではないように感じますので、右のように置き換えて解釈されるとよいでしょう。
思想 → 思考
磁力 → 波動
夢遊病 → 体外離脱体験(体脱、OBE)
液状体 → アストラル体
*なお、「液状体」という名称は、「アストラル体」が持つ可塑性の性質に鑑みてつけられたものです。「アストラル体」は、死んで間もないころは、生前の自分が若返った姿をとることが多いのですが、本人の意思によってその姿を変えることが出来ます。
最後に、カルデックが「敵」という言葉で語ったものに関して、考察を加えておきたいと思います。
カルデックは、スピリティズムに敵対する人々を三種類に分類しました。第一の人々は、ともかく「認めないものは認めない」という狭量な人たち。第二は、スピリティズムが本ものであるということには気づいているものの、それを認めたら自分の立場が危うくなるというのを恐れ逆に攻撃してくるという人々。そして第三は、そんな異論がもしも台頭して来たら、自分たちの行為やあり方を痛烈に批判されることになる、というのを恐れる人々。ということで、これは主に当時のキリスト教教会関係者のことを指しています。
この三分類の、第一と第二については、今も事情はさして変わらないように思います。しかし第三は、宗教的権威がどんどん失われていくなかで、新たな集合にスイッチしているように私は感じるのです。それは「スピリチュアリズム(Spiritualism)」です。
「Spiritualism」という言葉そのものは神聖なものではあるのですが、今の世に蔓延しているのは、これとは真反対の風潮です。「スピリチュアル」という言葉をダシに使って、お金儲けや功名心に走る人があまりにも多過ぎるのです。それはちょうど、テレビが Youtube に移っただけのように、宗教が吸引していたものが、バラバラになってスピリチュアル業界に移行しただけなのです。
「スピリチュアル」な世界については、一般の人々がほとんど何も知識がないのをよいことにして、不思議な世界に見え隠れする特別な価値を提示したり、あるいは身の安全を脅した上で救いの道を示したりして、人々を吸引しようとする徒があとを絶ちません。
人々が、こうしたものに惹かれるのにはちゃんと理由があって、人間というものが、そもそも霊的存在だからです。その意味では、一端には気づいているのです。がしかし、思慮が浅い。仕方がないと言えば仕方がないのですが、物性が残っている者同士の間では、同じレベルのところで吸引や同調が起こってしまうのですね。そのことに、早く気づいてほしいのですが。
もっとも宗教も、霊的世界を語りながら現世利益をエサに使って来たわけで、そう考えますと、時代が変わっても、利己主義の根絶というものは、非常に難しいと言わざるを得ないのかも知れません。
奥義へのイニシエートにあなたを導く書
新・ハトホルの書
アセンションした文明からのメッセージ
トム・ケニオン著
本書は、宇宙の真理に関する理解、および内的意識の上昇がすでに相当程度進まれている方にのみお勧めします。しかし、まだその段階にまで達していないという方にとっては、まるでチンプンカンプンで無用の長物でしかないでしょう。
言葉や内容が難しいというわけではなく、奥の扉がまだ開いていない人にとっては、どんなに貴重な言葉も響かないし、届かないのです。その意味で、本書はイニシエート(参入儀式)を通過した人だけに顕れるグル(師)の役目を果たしてくれる、極めて貴重な書と言えます。
内容は、秘儀に属するワークの実践法と、秘教的な智慧がミックスしたものとなっています。かつては、このような奥義は本当に一部の人にしか伝承されなかったのですが、今はこうして一般公開されているということに驚くとともに、天の配慮に対し感謝の念を禁じ得ません。もう出家する必要もなく、ヒマラヤやチベットに出掛ける必要もないのですから。ただ「志」がありさえすれば、本書を通じて誰もが自分のグルに出会えるのです。地球のアセンション段階に呼応して、そのような時代が到来したということです。
「ハトホル」というのは、かつて古代エジプトにも現れた、高次の意識を持った宇宙系の存在の名前です。ですから、今日まで伝わる秘儀・秘教のおおよそは、実はこの「ハトホル」によるものです。それと同一の存在からのメッセージを、現代人に向けて、アメリカ人のトム・ケニオンが下ろしてくれたものが本書です。
『新・ハトホルの書』となっているのは「改訂版」の意味で、前著の続編ということではありません。「改訂版」には、増補として、「東日本大震災」後の放射能汚染の問題に個人としてどう対処したらよいか、という緊急メッセージが追加されています。
ここで「光の薬」の名称で紹介されているワークは、秘儀としてはよく知られたものですが、改めてその有効性が強調されていることには注目です。と言いますのは、その後のパンデミックをも予見していたと思われる言葉がそこに書かれてあるからです。
以下に、それを引用しておきます。
「あなたがた人類が集団として、この混乱の節目の複雑かつ激動の時期により深く入っていくにつれ、細菌やウィルスも急速に変化します。「光の薬」は細菌やウィルスの突然変異種による感染症の予防や癒しにも適用できます。神経毒に侵された場合もこの方法を使ってください。」
まるで大河ドラマを見るような面白さ、それでいて持つ波動は極めて高い
ヒマラヤ聖者の生活探求
著者:ベアード・T・スポールディング
翻訳:仲里誠吉
この本は、読む人を確実に選びます。誰もが読みこなせるという代物ではありません。活字を追うことはできます。難解というわけでもありません。しかし、受け入れる準備が整っていない人には、本当の価値を見出すことはできないだろうと思います。反対に、受け入れる準備が整った人にとっては、これ以上ない、至高の気づきを与えてくれる本となることでしょう。
内容は「現代の奇書」と言っていいものです。1930年代に、著者であるベアード・T・スポールディング氏他11名が、考古学的な調査のためにヒマラヤ奥地へと探検に出かけます。
この探検調査は足掛け3年半に及ぶことになるのですが、その際に、本来の調査目的とは別に、ひょんなことからヒマラヤで大師(Master Adept)方と出会って共に行動するようになり、そこで目にした奇蹟の数々や、直に聞いた説法を、驚きとともに記録したものが本書なのです。まさに生まれるべくして生まれた、そのように計画されていた特別な本だと言っていいでしょう。
ということで、本書には、調査の主目的であったはずの考古学的なことについては殆ど記述がなく、もっぱら滞在中に体験した不思議な出来事が、これでもかというほど丁寧に記述されているのです。テープレコーダーなどまだなかった時代に、一体どうしてこのような大部の会話記録を記述できたのかも不思議です。
圧巻は、あのイエスと釈迦が今も生きていて、肉体を持ったまま共に手を携えて登場し、説法を行う場面。その内容の素晴らしさは、感動以外のなにものでもありません。結局、イエスも釈迦も大師方の一人であり、他の大師方も500歳、700歳、1000歳という年齢を数えながら、みな若々しい肉体を持ち、日々、世に光を与える活動を行っているのです。
これを眉唾だと捉えるか、真実だと捉えるか。しかし、ただ「解る人には解る」と申し上げたい。多くの人が疑問に思っている、秘教や奇蹟といったことに関しても、その意味やメカニズムが惜しむことなく公開されていることに、感謝の念を禁じ得ません。「これは、私のために作られた本だ!」と思ったくらいです。
新版も出ているようですが、私としては仲里誠吉氏訳をお薦めします。仲里誠吉氏も非常に霊性の高い方であるのがうかがえ、詳細な註釈を付けられているその博識ぶりには大いに助けられました。
80年以上の歳月を経ても、なお新しい輝きに満ちた真理の書。多くの人に、この書が受け入れられるようになっていただきたいと願います。
神秘主義は万国共通のもの、ということを鮮やかに示してくれている
神秘主義
超越的世界へ至る途
イーヴリン・アンダーヒル著
あなたが、いま自分自身は「アセンションへの道」の初めあるいは中盤辺りを歩いていると自覚している方には、本書はお勧めしません。本書は、すでに道の終盤に差し掛かった人か、指導を行う立場にある人には、極めて有用な情報を提供してくれますが、初心の者にはかえって混乱をもたらすだけのように思います。
この書は、1911年にイギリス人の女性宗教学者イーヴリン・アンダーヒル(Evelyn Underhill)が著したもので、純然たる学術研究書と言っていいものです。書かれた時期は100年以上も前ですが、その研究範囲の広さ、そして緻密さは特筆すべきもので、いささかも古びてはいません。しかし読み通すのは非常に大変です。『神秘主義(Mysticizm)』というタイトルに惹かれてうっかり手を出したら、たちまちしっぺ返しにあってしまうことでしょう。
難解というよりも、頭の良すぎる研究者特有の、あまりにも饒舌な文章が行く手を阻むのです。内容のポイントそのものは、おそらく10枚程度のシートに整理できるでしょうし、そうした方が実践家には役立つと思われます。しかし、研究者としては、あらゆる方面を検討し、網羅し、分析して見なければ気が済まなかったのでしょう。ですから、研究書としては100年経っても、これを超えるものがないという輝きを持っています。
けれども、実践家の立場からすれば、Aさん、Bさん、Cさんに適した道や進み方はみな違いますので、網羅主義の饒舌な部分はあまり役に立たないということになります。その人を見て、各人に応じた進み方を指導してあげるのがグルの役割であり、その意味では、グルとなる人にとっては参考になる点が多々あります。
特に、光への道を歩む際に遭遇する、避けては通れない苦痛や困難については、どんな時期にどんな症状が現れるかという分析が事細かくなされており、これを指導に活かすことが出来るように思われます。ご興味のある方は、チャレンジしてみてください。