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いざ、DNA の修復のとき ── 2026年4月3日の所感

 

『気づきの啓示板』ブログ削除に関する予告

先ずお知らせですが、2024年末に終了しました『気づきの啓示板』ブログの全投稿記事を、もうしばらくしたところで削除いたします。時期については、これで充分に役目が終わったと感じた時点でとなりますが、遅くとも今年度末までには実行するつもりです。
 
やっているときにはそれなりに精力を傾けて一心不乱に取り組んでいたのですが、振り返ってみますと「未熟だった」と感じさせられる部分も多く、そのままにしていると誤った情報を与える可能性があるために、この辺りで幕引きをいたします。
 
最初のころは、感覚的にも、能力的にも、また知識的にもまだ何も分かっておらず、自分がキャッチできる情報というものは、ごくわずかな断片的なものに過ぎませんでした。もっと言えば、分かっていないということすらも分かっていませんでした。そのため、自分がしていることに確信が持てませんでした。結果、エゴにまだ縛られていた自我をかなり混入してしまい、真実を見抜けなかった箇所が随所にあります。
 
ブログを始めて間もないころでしたが、高田馬場にあった「預言カフェ」に行った際に、いきなり〈あなたがメッセージの発信をしていることは知っています〉と言われてびっくり仰天し、続いて〈それをもっともっと続けるように、あなたが出せば出すほどわたしが届けます〉と言われ、疑いなくその言葉にしたがう道を選んだわけです。
 
私と同じようなことをしている人がほかにいらっしゃるのかどうかは分かりませんが、霊能のない者がメッセージを下(おろ)すというのは大変な難儀であり、苦しみでした。しかし継続しているうちに、少しずつ知識量も増え、何段階かの飛躍的な心境の変化を経験しました。あの日「預言カフェ」で言われたことは、本当だったのです。
 
結局のところ、この取り組みは、自分を鍛えるために用意されたものだったと思います。結果、その途中段階をお付き合いくださった方々には、自分の未熟さを曝け出すことになってしまい、恥ずかしく、また申し訳なく感じています。しかし、共に学習してきた仲間だと思っておりますので、一緒に成長してきたということをもってお許しいただきたいと思います。
 

あなたの未来をお楽しみに

これは『エリシャムの書』のあとがきにも書いたのですが、霊能者でもない自分がなんでこのような任に当たらねばならないのか、ということについてはずいぶんと悩みました。そしてそのたびに、答えの見つからないまま、最後は「でも、やるっきゃない」というところに心を落ち着かせてきたのです。
 
しかしその分、社会の最底辺で喘ぎ喘ぎしながらやっと生きながらえてきたような者が、そこから脱して「アセンション」に至るまでの〈プロセス〉を語られるようにはなっていたのです。そして今ごろになって、ようやく、その〈プロセス〉をシェアすることが、自分の役目だったのかな?と考えるようになりました。
 
私も、若い時分には、人並みに社会的成功(映画監督になること)を夢見ていましたが、相当な努力をしたにもかかわらず、運に恵まれずそれは敵いませんでした。今と違って、手軽で安価な自己表現手段もなく、撮影機材やフィルムの現像にしても、また印刷や出版にしても、みな100万円を超える出費が必要な時代でした。
 
物もあまりないときで、テレビも電子レンジも冷蔵庫も持っていませんでした。もちろんコンビニなんてまだありません。日の射さない4.5畳の掘立て小屋に住み、自分の未来については絶望感しかありませんでした。他者と比較し自分の惨めさと不遇さを呪いました。また、思うに任せない社会の理不尽さや非道さを恨みました。しかし、そのような中でも今日まで生かされてきたのです。
 
時代環境が変わっても、人間の苦悩が生じてくる仕組みは本質的には変わりません。当時の自分と同じような絶望感にさいなまれている人は、今も大勢いると思います。しかし、そのような人たちに言ってあげたい。絶望してはなりません。また絶望する必要も根拠もありません。それは、究極的に言えば、己の無智からきているただの錯覚なのです。
 
当時の自分の絶望感は、社会的なモノサシから今後永遠に弾かれてしまうのではないか、という恐怖感から生じていました。奈落の底へどんどん引きずり込まれていくような感じがするのです。無知蒙昧で、世の中の仕組みのことなど当時はまったく知りませんでしたので、単純に社会的なモノサシにうまく乗れた人と乗れない人の二分論で社会を考えてしまい、自分は落伍者のほうであると決めつけていたのです。
 
もしいま、かつての自分と同じような絶望の淵に沈んでいる人がいるとしたら、改めて言ってあげたいです。世の中のモノサシに合わせる必要はないし、決して絶望してはいけないと。自分は70歳を過ぎましたが、世の中的には「終わった」と言われるようなこの年になっても、そこに至ってようやく解るという「真理」もあるのです。人間にとっては一生が学びです。ですから、ご自分の未来を楽しみにしてください。
 

「奴隷」システムからのエクソダス

振り返ってみますと、当時の自分の苦しみは、将来、いまのような活動をするために必要な体験だったのです。夢を打ち砕かれなければ、社会の落伍者にならなければ、貧しさを味わわなければ、同じ境遇にある人々の気持ちはたぶん分からなかったでしょうし、またそこから這い上がっていく〈プロセス〉も発見できなかったことでしょう。
 
もちろん当時はそんなことは少しも分かりませんでした。若者にとっては、30年後40年後のことなどまったく眼中に入りません。今です今。ただ今が辛い。カルマや試練や役割のことなどぜんぜん知りませんでしたし、考える余裕もなく、ただただ苦しい毎日でした。でも、当時と今とで大きく様変わりしたものがあります。自分の外側に展開される世界です。
 
地球に、大変革時期が訪れたのです。ですから、世の中のモノサシということについては、今のみなさんにとってはもっと別の意味が生じています。モノサシに合わせる必要がないどころか、すでにモノサシ自体が崩壊していく過程にあるのです。それらは、単純な話、人類を「奴隷」に留めるための洗脳システムだったことがここにきて明らかになりました。
 
ですから、「奴隷」状態からは解放されるのですが、今後は、あなた自身のモノサシの上を生きていかなくてはならないのです。言い換えると、自分の力と裁量で、自分自身をドライブしていかなければならなくなったのです、これは実に大きな変化です。しかし、そのことを朧げながらでも認識できている人というのは、残念ながら非常に少ない。
 
総じて、男性というものは一度身につけた鎧や仮面をなかなか外そうとはしません。観念の中に生きる動物だからです。外にあるモノサシに従って、その上を生きていくことが必要だと固く信じ込んでいて、そこから外れることは「恐怖」以外のなにものでもありません。その恐れをマスキングするために、鎧や仮面を被り、観念の「決めつけ」によって正当化しようとするのです。
 
しかし女性は、漢字の女偏の変化(娘→嫁→妻→婚→妊→娠→母→姑→婆)ということでもよく言われるように、一生涯を通じてライフステージが次々と変わっていきます。これは子どもを産み育てるために必然的に与えられた現実対応力だと考えられますが、そのため変身することにはそれほど躊躇がありません。
 
男性は腕っぷしが強いというだけで、「変化」に対しては女性よりもずっと弱く怖がりなのです。しかしこれからは、それを打ち破っていかなければなりません。
 
特に男性にアドバイス申し上げたいのは、心をもっとオープンにしなさいということです。いちど心の底から泣いてみるといい。オイオイ声をあげて泣けばいい。泣くことは「神我」に触れることだから。自分を守ろうとして防御姿勢を取るから、そのシールドに抵抗感が生じてストレスとなるのです。心をオープンにすれば、攻撃を受けたとしてもそのエネルギーは自分を通り過ぎていってしまいます。
 

『虹の架け橋』の方法論の模索

私が「自分の使命」ということを自覚するようになってから、私の内にしだいに二つのテーマが湧き上がっていきました。一つは、「宇宙の真理」を見つけ出すこと。もう一つは、それを人々に何とかして伝えることです。あれは確か自分が6歳か7歳のころだったと思うのですが、非常な高揚感とともに「自分は『虹の架け橋』になるんだ!」と決意したことがあったことを思い出しました。その記憶と二つのテーマとが繋がったのです。
 
ですが、その全部が手探り状態で、無知蒙昧な段階から一歩一歩進んでいくしかありませんでした。テーマの前者の経過については、前のところで述べたとおりです。そしてその延長上に、今回『エリシャムの書』を出すことができましたし、『アセンション 宇宙からのメッセージ』を出版化するお手伝いもできました。(まだまとめておきたいテーマがいくつか残っていますので、これは継続していくつもりです)
 
さて問題は、もう一つの「人々に伝える」方法です。今はインターネットがあり、オンデマンド出版という手段もありますので、かろうじて世の中に発信はできているのですが、自分が夢想したような理想形はなに一つ実現できませんでした。いくら出版社にアプローチしても梨の礫ですし、絵本もいまだに出せてはいません。20代のころから続く、何をやっても成功とは無縁という状態が現在も続いています。
 
また、全国に小規模なコミュニティを作りたいと願っていましたが、それも敵いませんでした。読書会を催したり、連続講座を開いてみたり、合宿講座をしたり、出張セミナーを企画したりしてみましたが、ことごとく不発に終わりました。私の理想像は、そこに集まる人たちが、互いに助け合い、切磋琢磨しながら霊性を向上していけるような、心温まる小さな場だったのですが‥‥。
 
このような模索と挫折を経験していくうちに、しだいに、現在の宗教界やスピリチュアル業界のあり方や方法論が気になりはじめました。最初はまったくそんなことは考えていなかったのですが、自分の「波動」の知覚能力が上がるにつれて違和感を覚えるようになったのです。言い換えると、自分の波動レベルが低いときには気づかなかったことが、高まるにつれてそこに不快感を感じるようになっていきました。
 
それがしだいに大きくなって、しかも「こうするといいよ」ではなく、「こうやってはダメだよ」ということを順番に学ばされていくことになりました。最初に感じたのは「組織」です。どの宗教もどの団体も、ほぼ例外なく当たり前のようにピラミッド型の組織を作っていくのですが、すると上意下達の「意識コントロール」と「依存」という問題がどうしても出てきてしまうのです。(宗教はわざとそうさせている面もあります)
 
次に感じたのは「家元制度」です。当家のブランドに特別な価値意識を持たせて、その作法を段階的に学んでいくことで、そのつどお免状を与え出世階段を登っていくという仕組みです。たいていは、これに段階的に増加していく受講料が設定されています。この仕組みは向上心を利用し選民意識をくすぐるので、多くの人がやりたがるのですが、他家との違いを強調する必要があるためにスタイルが固定化され、いずれはタコ壺化していってしまいます。
 
三つめは、言わずと知れた「お金」です。「お金」を前二者の構造の上に載せると、それが集金構造を持つことになります。最初のうちはよいのですが、やがてこの集金構造自体が力を持つようになり、逆に人々を支配し始めるのです。そうなると、もう目的と手段が逆転してしまって、「お金」を先に考えて、その目標を達成するための目的をでっちあげるというふうになっていってしまいます。
 
そして四つめは個人崇拝です。人間の本能として、旗と杖がどうしても欲しい。人々は絶えずそれを希求していますので、その渇きに当てはまる人間がいないだろうかとあちこちをいつも探し回っています。そこにピョンと納まる人間が出てくるのです。この個人崇拝が「組織」や「家元制度」に上乗せされると、集金構造がさらに強化されることになります。
 

スピリチュアル業界の摩訶不思議と出会って

世の中には、一般に「カルト」と呼ばれる教団があるのですが、よく観察してみると、人民寺院にしろブランチ・ダビディアンにしろオウム真理教にしろ、その他もろもろも、みな同じある特徴を持っていることが分かります。
 
①個人崇拝の対象とされる霊能者がいる
②自分たちのコミュニティ以外との接触を禁止する(外の世界は汚れているとか、まだ目覚めていないとか、デーモンに操られているといった理由をつけて)
③わが教団のみが「特別」であり、信者は「選ばれし者」であることを強調する(場合によっては、男性教祖が女性信者に次々と自分の子ども産ませて血縁集団をつくる)
④終末論を説いて、われら以外の人間たちは救われないと説く → これによってさらに結束と洗脳が強まる(ここがポイントで、実は教義などどうでもよく、恐怖を与えることで信者を支配していく)
⑤しかし、俗世の人間にはわれわれが言っているような高尚なことは分からないので、われわれを狂人あつかいし、いずれは迫害しにやってくるだろう、と予言する
⑥そして教団の奇異な活動が、世間の耳目にのぼり白眼視されるようになってくると「ほらみろ、言ったとおりだろう」となる
⑦そこで最後は、闘って殉死せよと迫る → 信者はそれによって神から永遠の救いを得られると信じている
 
以上は極端化した場合ですが、程度の差こそあれ、宗教界やスピリチュアル業界は、ちょっと間違えれば、いずれもそちらの方向に行きかねない要素をみな持っているということがお分かりでしょう。
 
最初のうちは、こうした傾向や業界構造のことを知りませんでしたし考えたこともなかったので、そこで目撃したことの意味がまったくわけが分かりませんでした。スピリチュアルなものを希求している人は、みな純粋でよい人ばかりだと思っていたのです。しかしそれは自分が世間知らずだっただけで、実態はまるで違っていたことにショックを受けました。
 
深奥で「なるほど!」と唸るような共感できることを説いてくれているのに、言っていることとやっていることがぜんぜん違うという人や、裏の顔はまったく別人という人を目撃するに至って、「いったいこれは、どういうことなのだろう?」と不思議でなりませんでした。そして「これには、きっと凡人には理解できない深い意味があるんだ」としばらくは思っていたのです。
 

旗と杖は不要

しかし私自身は、言っていることとやっていることが違う、というのは自分の生き方としてどうしても承服できませんでした。自分にとって、そもそものテーマは「宇宙の真理」を探究し見つけ出すことでしたから、「Oneness」と「キリスト意識(神我)」のことを知った以上は、自分の生き方としてもそれを目指し実践していこうと考えるのはごく自然な流れでした。
 
たとえば、誰の意識の奥にも「キリスト意識」が眠っており、わが内なるそれを発見し、そこへ到達し、ついには霊主体従で生きることが「アセンション」であると(これは古来より変わらぬ叡智なのですが)伝えたとしても、個人崇拝や教義遵守や家元制度をやっていたのでは、意識を自分の外に向けさせることになってしまうわけですから、根本において矛盾してしまいます。
 
模索を続けるうち、私は、これが、大昔から繰り返し「Oneness」が説かれてきながらも、ついぞ人類がそれを受け入れることがなかった最大の原因ではないかと思うようになりました。「わが内を見よ!」と説いている者が、同時に「オレを崇めろ」と言うわけですから、旗と杖を求めてやまない者の意識が「わが内」に向かうはずがありません。それは目には見えず、未知のものですし、超越しなければならないものですから。
 
ですから、現時点ではまだ、地球人類にとってそれほどこの誘惑を跳ね返すのは難しいということです。しかし、宗教界やスピリチュアル業界をつぶさに観察していますと、教義と信仰を固定化してしまった集団や、自分を「先生」と呼ばせている集団内にいる人には、霊的成長がほとんど見られないのです。何年経っても同じ霊性レベルに留まり、ずっと同じことをやっている。
 
団体運営ということを考えたら、むしろそのほうが好都合なのかもしれませんが、地球人類は、もういい加減に旗と杖を外に探しにいくことをやめなければなりません。地球はすでに大変革期の真っただ中に突入しているんですよ。「真理」はあなた方の内に最初からあるのです。「神」は最初から内にいるのです。それに気づくだけですから努力はいらないのです。だから、洗脳されて奴隷になる必要などはなかったのです。
 

誘惑を断ち切る

ダスカロスことスティリアノス・アテシュリスは、自己の霊性レベルがどれほど向上したとしても、その日一日の言動に対する反省は一生涯続けなければならないと述べています。誘惑の落とし穴はつねに開いているからです。彼は、自分が7歳の時に、ヨハナン(ヨハネ)より下された『7つの約束』を就寝前に必ず振り返り、今日一日の言動がそれに背いていなかったかをチェックすると言っています。ちなみに、『7つの約束』とは次のようなものです。
 

私は自分自身に約束します。
1.いつどこにいても、私もその一部である「絶対無限の存在」に心を込めて奉仕します。
2.いつどこにいても、私には「神聖なる計画」に奉仕する準備ができています。
3.いつどこにいても、またどのような状況にあっても、私は「神聖なる贈り物」である思考と言葉を正しく使います。
4.最も賢明なる「神聖な法則」が与えてくれる、あらゆる試練と苦難に対して、私は不平不満を言うことなく、忍耐を持って受け入れます。
5.私に対する人々の行動がどのようなものであっても、私は心と魂の奥底から、誠意を持って兄弟姉妹である隣人を愛し、彼らに奉仕します。
6.私のあらゆる思考、願望、言葉、行動が「神聖なる意思」と完全に一致することを目的として、毎日「絶対無限の存在」について瞑想し、熟考します。
7.私のあらゆる思考、願望、言葉、行動が「神聖なる法則」と完全に調和したものであるかどうか、毎晩、確認します。

私も、それに倣って同じことをずっと続けています。しかし、世間からはやはり受け入れられませんでした。人間界では「権威」がものを言います。「権威」に惹かれて人が集まるので、「権威」のない自分の言動などはほとんど見向きもされません。それどころか、馬鹿にされたり、罵倒されたり、いじわるをされたり、裏切られたりしてきました。
 
罵倒やいじわるはまだよいのです。受け取らなければよいだけですから。しかし、せっかく縁ができたのに、突然ガチャン!と扉を閉じて去っていく人が出てきたときにはいつも悲しい思いをしました。それは、去っていったという出来事に対する衝撃ではなく、お役に立てなかったという自分の無力感を思い知らされるからです。
 
ご自分の中の霊性向上を実感して独立していってくださるのであれば、それはたいへん喜ばしいし嬉しいのです。ところが、スピリチュアルなことに興味を抱く人の中には、自分がいま根深い問題を抱えていて、その要因にはどうやら霊的なものがあるらしいと感じて接近してくる人がいます。そのような人たちが道半ばで去っていってしまう。
 
最初の直感自体はよいのですが、ブロックがあまりにも強過ぎて、いざ自分を変える段になると、ネガティブな状態から脱して健康になることを逆に怖がり出す人がいるのです。すると、人間関係において過去に自分が繰り返してきた「傷つく」という経験(それは、単なる思い込みに過ぎないのですが‥‥)を予感し、自分のほうから先に逃避行動をとってしまうのです。
 
加えてその人の気持ちを考えると、「きっともう二度と顔見せできないと思うことになるのだろうなぁ」と想像されることが、また悲しくさせました。そんなことはありません。また一緒に学習したければいつでも戻ってきてください。しかし、究極のスパンを言えば、いつかはその人もカルマを乗り越えていくわけで、自分としては気持ちを引き摺らないようにするしかありません。
 
でも、これらは、まあ仕方がありません。今の世間のニーズと自分のシーズが合っていないということですから。そうした中で、東京の一角にわずか10人にも満たない規模ですがサロンを続けることができたのは、私にとって救いでした。誰ひとり耳を傾けてくれる人がいなかったとしら、明るく元気に過ごすことはできなかったでしょう。
 
また、有志の方から活動にご寄付をいただいたことも助かっています。応援してくださる方がいるのを実感できましたし、それによって本の初期制作費用も賄うこともできました。このようにして、思い描いていた理想形とはほど遠い成果しか生み出し得なかったのですが、みなさんに助けられて今日があります。まことに感謝にたえません。
 
私自身は、自分が模索してきたやり方が決して間違っていたとは思っていないのですが、まだその時期ではないのでしょう。自分が思い描く理想形への転換にはもうしばらくは年月がかかるようです。おそらく、この先30年くらいまでが一つの転換期、そして完全に変わるまでには200年から300年はかかるのではないでしょうか。
 
ということで、それまでの間をなんとか繋いでいかなければなりません。
 

「地球の大変革」の隠れたテーマは「人類の DNA の修復」

いま進行中の「地球の大変革」は、みなさんが考えておられる以上に根源的なあるテーマを持っています。それは、「地球人類の DNA の修復」です。このことは、『アセンション 宇宙からのメッセージ』の中にすでに書かれてあったのですが、お読みになった方は覚えておられるでしょうか。
 
今度のプランデミック騒動で「mRNAワクチン」というものが登場してきたときに、私はすぐに「おぉ、そう来たか!」と思いました。それは、今の「人類」の祖先の中に、太古において DNA を操作され「奴隷人種」として創造された人間が混じっているからです。つまり、〈連中はまた同じことをやろうとしている〉とピン!ときたのです。言ってみれば、奴隷人種 Ver.2.0 の創造です。
 
今回の彼らの計画では、全人口の9割を削減して残った1割を奴隷人種 Ver.2.0 に改造しさらに家畜化を強める予定でした。このような話をいま初めて聞く人は、きっと頭の中がグルグルしてしまうと思うのですが、毒ワクチンのことも、宇宙人のことも、ブルーブラッドのことも、児童誘拐や臓器売買のことも、悪魔崇拝儀式のことも表に出てきましたので、以前よりは理解度が進んでいるのではないでしょうか?
 
さて、この『アセンション 宇宙からのメッセージ』の中に、人類はこれから、失われてしまった「第六感以上の意識」を再び取り戻すために、過去に破壊されてしまった DNA を修復していかなければならないと書かれてあります。つまり、いま進行中の「地球の大変革」のプランの中に、それが含まれているということです。ではその修復計画は、どんな方法をとることになるのでしょうか。
 
私は、それは物理的手段によるものではないと思っています。なぜなら、DNA の改変というものは、物質界における肉欲の最たる願望だと思えるからです。人間を改造してしまおうというのですよ。これこそ狂気です。なぜ、天霊が与えた DNA を操作しようなどという発想が浮かぶのでしょうか? それは、宇宙の生命現象というものが、すべて調和のもとに営まれているという「真理」を知らないからに他なりません。
 
そこにすでに、自分たちは自然を支配できる、宇宙を支配できるという究極のエゴイズムがある。しかしそれは、単なる無智です。神に反抗しているつもりが、神の手の内から出ることは決してない、ということを知らない。大宇宙の中に抱かれた存在でしかないのに、どうやってその宇宙を支配できるというのでしょうか。愚かさの極みとしか言いようがありません。
 
そうではなく、DNA の修復は真逆のプロセスをとることになると思います。つまり物理的な手段ではなく、非物理的手段 ── すなわち霊的なアプローチによってです。みなさんは、DNA というのは物質なのだから、きっとその修復も遺伝子改変という物理的手段をとらなければ達成できないのではないか?とお思いでしょう。
 
では、突然変異という現象がなぜあるのでしょう? もっと言うと、ある両親のもとに新生児が生まれたとき、その子の DNA はどうやって形作られたのでしょうか? 両親が持つ遺伝子の選択と組み合わせは、いったい誰が決めているのでしょうか? この疑問を拡大していくと、果ては宇宙論に繋がります。すなわち、われわれが住む宇宙は、いったい誰が創ったのか?
 
「あなた」という地上の個別の存在は、霊→魂→心→肉体の順に、振動数がしだいに低下することによって形作られています。これと同じように、大宇宙も、神→天使→ご計画→物質界という順に振動数を下げながら形作られているのです。逆はありません。物質化の前には必ず意志があるのです。ですから、自己の根源にある意識を変えることによって、DNA の変換が可能です。
 
意識と DNA は本質的に結びついていて、意識の向上(=周波数の上昇)は、自己と周囲のエネルギー・フィールドに変化をもたらします。それが DNA の出現にも影響を与えるのです。しかし人間はそんなことを知らないし、科学者もそのようなメカニズムがあることを認めようとはしません。そこで、物質界のことは物質界をいじくることで改変していこうと考えるのです。
 
これはもう地球人類が背負ったカルマ ── というよりも病気であって、気象を操作し、資源を掘り尽くし、土壌を汚染し、化学兵器を作り、ウィルス蚊を放ち、子どもから血を抜き取り、臓器を売買し、果ては DNA まで改造し、人間の生存を自らの手で脅かすようなことをしているのです。
 
しかしここで、人類はこれまでの歴史の清算の時を迎えます。生き残る遺伝子と、消滅する遺伝子がふるいにかけられるのです。いや、すでにかけられました。このことの意味は、善悪二元論を対立としてしか考えられない人たちには理解しがたいでしょうが、神は悪を使って進化を促すのです。善悪がそろって神。神は一者です。だからこそ悪の存在が許されているのです。
 
人間は「死」を怖がりますし、輪廻転生のメカニズムを知らない人も多いので、遺伝子のふるい分けを恐怖と感じるかもしれません。しかし魂が消滅することはなく、それは単にアセンション後の地球に生き残る肉体の遺伝子が選別され、残りが淘汰されていくということを語っているに過ぎません。その淘汰されていく遺伝子とは、古代に「奴隷人種」として改造された遺伝子です。
 
「奴隷人種」の遺伝子を持つがために支配層に操られ、コロナ騒動の脅しにも簡単に引っ掛かり、毒ワクチンを接種する選択をしてしまったのです。羊と、牧羊犬と、羊飼いと、牧場主の関係を考えてみてください。これと同じ階層構造で支配と操作の構造ができあがっている。みなそれぞれの立場をただ生きているだけなのですが、全体構造は支配と被支配の力関係を形成しているのです。
 
でももし、「奴隷人種」の遺伝子が人類に埋め込まれていなかったとしたらどうでしょうか? このような関係はすんなりとは成り立たなかったはずです。なぜなら、みな独立独歩の意思を持ち、自分自身で物事を判断したでしょうから。
 

あなたに託したいこと

そこでこれからのことですが、みなさんには、今後の人類にとって最大のテーマとなる「DNA の修復」に向けて、いち早く歩み出していただきたいのです。それを公言する必要はありません。秘めたる願いで結構です。公言したところで、頭の少々おかしい奴と思われるだけでしょうし。でも、今は誰にも理解されなくても、どのみち最後はそうなるのです。
 
あなたにはぜひ、あなたの地域のスピリチュアルなコミュニティのリーダーになっていただきたい。
 
宗教ではない、スピリチュアルなコミュニティを求めている人たちは大勢います。でもリーダーには誰も成りたがらない。救いや貰うことばかり考えていて、与えるということをしようとはしません。本当は、与える気持ちはあるのだけれど、自分はまだそれに値しない存在だと考えているのかもしれません。あるいは、気持ちが沈みがちでとてもそんな余裕はないという人もおられるでしょう。
 
けれども、霊的な知識や霊性レベルというものはすべて相対的なもので、完全な人などどこにもおりません。いま沈んでいるのは、トランポリンの上に乗っているのと同じで、高く舞い上がるための準備運動なのです。沈んだことをきっかけにして、自己の本質を問う「気づき」が訪れているのであれば、今の好調さに酔ってスピリチュアルな「気づき」のまだない人よりも先を歩いているとはお思いになりませんか?
 
あなたにチャレンジしていただきたいのは、スピリチュアルなリーダーになることではなく、「献身のリーダー」になっていただくことです。会場探しから始まって、イベントの告知、設備や機材の用意、資料の作成、茶菓の準備、交通の手配、当日の運営と後片づけ等々、すべてに献身を尽くすのです。下座に徹し、こと〈献身においては誰にも負けない〉というほどのリーダーになってほしいのです。ヨハナンの『7つの約束』のもとに。
 
スピリチュアルなコミュニティを希求する人は多いので、集まりを催すこと自体はそれほど難しくはありません。しかしそれを継続し、かつ向上していくことが難しいのです。個人崇拝や組織や家元制度があれば、それらがボンディングを果たすかもしれませんが、それなしに、オープンに互いにありのままを受け入れて、かつ不当に扱われることを許さないという人間関係を醸成していくことは非常に難しい。
 
集まってくる人は純粋な人ばかりとは限りません。心に問題を抱えた人、それを発散しようとする人、依存する相手を見つけようとする人、疑いの眼を捨てない人、他人を操ろうとする人、自分の優位性を誇ろうとする人、オカルト興味だけの人、ただの物見遊山でくる人など様々です。さらには、自分の商売の客になる人間を見つけようと潜入してくる人もいるのです。
 
ですが、あなたが徹底して「献身」に尽くしていれば、おかしな人たちは自然と去っていくことでしょう。そして、そのうちに「手伝いましょう」という人たちが出てきます。こうしたことが続き、やがて自然と行なわれるようになっていくと、コミュニティの性格は温かで信頼のあるものに高まっていきます。すべては「同調の法則(共鳴の法則)」が導くままです。
 
また「献身」に加え、具体的なプロジェクトをコアに据えると、それがボンディングの役割を果たしてくれるので運営がしやすいでしょう。お勧めは「自然農」のファーム活動です。これはグラウンディングをしっかりすることに繋がりますし、自然との付き合い方や食の安全も学べ、かつ収穫を分け合うこともできます。
 
あるいは、ボランティアとか、コーラスとか、何かの創作活動などもよいでしょう。スピリチュアルな学習や気づき合い助け合いは、それらを通じて自然に出てくればよいのです。誰かの話を聞かなければならないということはありません。知っている人は知らない人に教えてあげればいいし、知らない人は「教えて」と言えばいいのです。誰も分からなかったらみんなで研究すればいいのです。
 
私は、全国に小さなコミュニティを作る夢を持っていましたが、それは敵いませんでした。またここに至って、自分の未達な部分もしだいに分かってきました。それは、「霊的外科治療」とでも言うべきもので、その必要性を痛感しました。「真理」の学習だけでは、前に進めない人がいるのです。しかし、それは自分の任ではないし、新たにそれにチャレンジするだけの能力も残された時間もありません。
 
したがって、それは後世の人材に託し、今自分は残された体力を本の執筆に集中します。これから「ワーク」のテキストブックを2冊作る予定です。一つはフィジカルな「ワーク」のテキストで、『楽行マニュアル』というタイトルを考えています。もう一つは『心の治め方』です。これらも、そうしたものが巷に見当たらないので、作っておく必要性を感じたものです。
 
ということで、のちに志を持つ方々のご利用に供せればと思っております。
それではみなさまお元気で。またいつかお会いしましょう。