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宇宙の真理についての学習

「瞑想」と「フィジカル・トレーニング」の二つは、ぜひとも、あなたの日課としていただきたいエクササイズです。これなくして、今世での「アセンション」の達成は困難です。加えて、「宇宙の真理」についての学習も、折に触れて行っていただきたい柱です。しかし学習だけでは、道は開きません。机上での学習は、あくまで補完するものです。
 
もっとも大切なことは、日々のエクササイズによって、これまでにない知覚と認識を獲得することです。その際に、学習して来たことが役立つのです。実践と理論との整合性が発見でき、自分が今どの段階のどの位置に来たかを知ることができます。これを、理論の学習なしにやっていたのでは、危険な迷い道に入り兼ねませんので注意が必要です。
 
この「宇宙の真理」の学習に関しては、ライブラリーページにおいて推薦図書を紹介している他、「気づきの啓示板」ブログでも現代版の辻説法を行っております。また基礎的な事柄に関して学ぶための「自習室」を設置しました。

 

根源的な問いかけ

自分は何者なのか。どこから来てどこへ行くのか。 
生命とは何か。生きる意味はどこにあるのか。 
存在とは何か。宇宙はどのようにして出来上がり、どのような構造をしているのか。
 
これらの命題に対する答えを、あなたは持っているでしょうか?
答えを持たなくても、人は生きていくことが出来ます。忙しくしていれば、これらの問いに心をくだくことさえも、忘れてしまっていることでしょう。けれども、ふと立ち止まった時に沸き上がってくる、これらの根本的問いかけ。
 
それを知りたいとは思いませんか? とことん追究してみたいとは思いませんか?
 

哲学や宗教に、その答えを見出すことは不可能

その答えを求めて、人は、一つには哲学というものを考え出しました。しかし、いくら哲学を推し進めたとしても、これらの命題に答えを見出すことはできません。なぜなら、哲学は「死後世界」の存在というものを想定していないからです。人はみな死ぬ。どうせ死ぬと分かっているのに、生きる意味はどこにあるのか?、と思考し続けて来たのが哲学です。これでは、門の向こうを知らずに、門の前で堂々巡りをしているだけです。
 
一方、宗教は「死後世界」の存在を認めて来ました。そのため、弔いの儀式や、霊的なものを重んじる教義を、各宗派がそれぞれに打ち立てて来ました。しかし、これはこれで、大きな矛盾と問題を抱えることになりました。各宗派が、自分たちの教義のみが正しいと主張し、これに固執したことによって深刻な宗教対立が生まれ、戦争にまでエスカレートしたことです。これでは、そもそも何のための宗教なのか、ということになってしまいます。
 
こうした矛盾が起こるのは、宗教には、見えない世界を「信じる」、あるいは「信じさせる」という、システム上の根本的な欠陥があるからです。信じれば、人は盲目になります。また信じさせれば、人を操ることができます。これは、人間を解放させるどころか、自分自身を拘束する手段になっています。
 
ではなぜ、宗教は「信じる」ことを求めたのでしょうか? それは、宗教者にも信者にも、真理に到達した者が一人も現れなかったからです。もし、真理に到達した者がいたとすれば、その人物は「真理は一つ」であることを理解したでしょう。「真理は一つ」であることを理解すれば、宗教間対立などはなくなり、それどころか宗教そのものが不必要であることを悟るでしょう。
 
ですから、「信じ」させているということは、取りも直さず、そこに真理はない、という証明になっているのです。
 

古代より伝えられて来た変わらぬ真理

過去、2600年余りは、黄道十二星座で言う所の「魚座の時代」でした。魚座のシンボルは相対する二匹の魚で、これは二極性を象徴しています。そのため、「魚座の時代」には、善悪の二極性を強調した「宗教」が大いに花開いたのです。そこでのロジックは、善が悪を駆逐するというものでした。この教義は単純で解りやすく、人々の心情にも合ったので、多くの信者を惹き付けてきましたが、自分たちは善、その他は悪と決めつける弊害を生み出しました。
 
しかしそのような中でも、本当の「宇宙の真理」を伝えようとするグループが、ごく少数ながら、世界各地に散らばって存在していました。けれども、宗教が全盛を誇った「魚座の時代」には、これらは異端とされて、排斥されたり弾圧されたりして来たのです。そのため、人知れず、隠れてひっそりと生きるしかありませんでした。ですが、地球は次の「水瓶座の時代」に移行しました。これからは、まさにその象徴が表わしているように、「真理」が水瓶から人々の上に直接注がれるようになるのです。
 
『虹の学校』は、この「真理」を、今の時代に解き放ちます。古代より伝わるこの普遍的な智慧を、現代の言葉で、現代人にも解るように伝えていくことを使命としています。
 

真理への扉を開く

ここで、考えてみてください。もしそれが「真理」であるならば、それは普遍性を有するはずです。もしそれが「真理」であるならば、時代を超えて永遠に生き続けるはずです。もしそれが「真理」であるならば、宇宙の構造とあらゆる現象を説明できるはずです。もしそれが「真理」であるならば、それはたった一つに集約されるはずです。そこに争いがあろうはずがありません。
 
宇宙には始まりも終わりもなく、したがって「無」はなく、永遠の変化のみがある。そして、この永遠の輪廻の営みこそが「生命」の実相なのである。これは、古代より伝えられてきた変わらぬ智恵です。この世でいう「死」は消滅ではなく、変化の一局面に過ぎないということも、変わらぬ真理として伝えられてきました。 
 
あなたの周囲にある物や、あなたの身に起きる出来事を、改めて眺めてみてください。そこに、原因なくして生じたものが一つでもあるでしょうか? 物事には、必ずそれを生じさせた原因というものがあるということに、すぐに気づかれるはずです。何事も、原因があって、結果が生じる。これを因果律と言います。 
 
この因果律を敷衍すれば、あなたが存在することにも原因があり、宇宙が存在することにも原因があるということが解るのではないでしょうか。言葉を変えれば、私たちは「原因」という世界の中に生かされた、「結果」ということになるのです。この「原因」の世界のことを「因の世界」と呼んでいます。
 

因の世界を知る

私たちは今、みな自分の肉体というものを持ち、時空間概念のある物質的世界に暮らしています。そして、その中に埋没しているために、この世界のみが宇宙の全てだと錯覚しています。けれども宇宙は、それだけではありません。物質を超えた世界もあるのです。それが、肉体の死後も続く世界、「因の世界」です。 
 
物質的世界に暮らす私たちから見れば、死後の世界はあちら側に見えますが、そうではありません。この世とあの世は表と裏という関係ではなく、あの世の中にこの世が含まれているのです。私たちが住む物質的世界というのは、多次元的宇宙の中の、極めて限定された領域の次元に過ぎないのです。
 

宇宙の真理を学ぶ意義

「宇宙の真理」を学ぶ理由は、そこにあります。「真理」とは、真(まこと)の理法、つまり全宇宙を司っているセオリーのことを言います。私たちが暮らす物質的世界は、全宇宙の中に包含された限定的世界に過ぎません。ですから、当然のことながら、このセオリーの影響下にあります。
 
ところが殆どの人が、この「宇宙の真理」というものを知りません。知らずに、苦悶しながら生きているのです。でも、もしそれが解ったら、その人の人生は一変することでしょう。これは生活が変わると言っているわけではありません。認識が変わるということです。因果が解れば、自分が今なぜ存在しているかということも、生きる目的も理解できます。そうなれば、たとえどんな艱難辛苦に遭ったとしても、それを乗り越える道を必ずや見出すでしょう。
 

虹の学校の役割

けれども、『虹の学校』は何も教えません。ただあなたに「気づき」のヒントを与えるだけです。なぜなら、「真理」は最初からあなたの内にあるからです。 あなたは、それをちょっと置き忘れてしまっただけ。それは師から弟子へと伝えられるものではなく、また聖書・聖典によって伝えられるものでもありません。真理は、ただ今、そこにある。あなたの目の前に。あなたの周囲の空間に。
 
ですから、それに気づけば、あなたは「真理」に目覚めます。「真理」は普遍かつ不偏かつ不変ですから、どの時代にあっても、また誰であっても、究極的にはみな同じものを見い出します。どんな道を通ろうとも、同じところに行き着くのです。大切なのは、自分自身の目覚めだけです。到達するまでに、早い遅いの違いはあったとしても、どんな「魂」も目覚めるときには目覚めるのです。
 
あなたは、自分でそれを、直接つかみに行けばよいのです。みんながそうすればよいのです。そして、それは出来ます。だからこそ、普遍性を持った真理と成り得るのです。
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。扉を叩けよ、さらば開かれん。」 
この言葉は、真実を語っています。 『虹の学校』は、ブレーク・スルーに至る、そのきっかけをみなさんに提供します。