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2026年3月25日 改訂

このコーナーは『虹の学校』が提供する資料室です。霊性向上に役立つ書籍や、ムービー、魂に沁みる歌などを紹介しています。
 

情報は、受け取る準備ができた者にタイミングよくもたらされる

今の世の中は、ありとあらゆる情報で溢れかえっています。それらを入手する手段も、インターネットとスマートフォンの普及によって、非常に簡易に行なえるようになりました。では「情報格差」は無くなったのでしょうか? いいえ、むしろ鮮明化しているのではないでしょうか。現代の「情報格差」は、情報が届かないことではなく、それを受け取りにいく人間の「興味とスキルの差」の問題となっています。
 
情報(information)というものは、基本的に、その人にそれを受け取る準備ができて初めてもたらされます。英語の「in-formation」には、その人の構造(formation)の中に入る(in)という意味があります。つまり「情報」と「構造」とは、鍵と鍵穴の関係になっているのです。逆に言うと、どんなに有用な情報を与えても、受け取る準備がまだできていない人にとっては、それは無用の長物でしかなく、みんな素通りしていってしまいます。同じ本の同じ文章を読んでも、アンダーラインを引く箇所や解釈が各人でみな異なるのはそのためです。
 
それが意味しているのは、情報というものは、受け取っているように見えても、実は自分の中の「気づき」であるということです。準備ができた鍵穴に、相応しい鍵がガチャンと嵌った時に「気づき」が起こる。ですから、今日理解できなかったことでも、数年経って突如納得がいくといったことがありますし、また今は興味を持てないことが、ずっと後になってから興味が沸いてきたということもあります。それは、準備体制というものが日々変化し、成長しているからです。
 

動画配信主流の時代に、あえて読書をお勧めするわけ

個人を取り巻く情報環境は、かつてのテレビ時代とは、今やすっかり様変わりしました。そのなかで、現在主流となっているメディアは、なんと言っても Youtube をはじめとする動画配信サービスでしょう。加えて、2025年からは AI も本格的な稼働を始め、映像コンテンツの制作方法にも驚くべき革新をもたらし始めました。
 
動画配信サービスは、それまでテレビが持っていた機能が、より便利に、より手軽に、より自分向けに、かつより多様化したものだと言ってよいでしょう。しかし、これらは人間にとって必ずしも良いと言える面ばかりではありません。映像には、人々を瞬時に惹きつけて放さないという魔力があります。ところが、その魔力が大問題なのです。
 
それらはあまにもお手軽でかつ習慣性があるために、自分で考えたり、推理したり、直感を働かせたり、クリエイティビティを発揮するといった能力がいつの間にか奪われていっているということに気がつきません。
 
前のところで述べたように、その人にとっての真に有意義な情報とは、その人の内に湧き起こった「気づき」なのです。そしてそれは、もともと本人の中にあって、出番を待って隠れていたものです。外部からくる情報というものは、その蓋を開けるための刺激材料に過ぎません。ところが、それが分からずに、みな外部刺激が重要な「情報」だと思い込んでいるのです。
 
そうではなく、外部刺激に対し、内より湧き上がる「気づき」が、いったいどれくらいの割合を占めるかが重要なのです。たとえば、「詩」を考えてみてください。関心のない人にとって、「詩」はただの単語の羅列にしか映らないことでしょう。「詩」の成立は、その読み手が、自分の内にどれだけ世界観を広げられるかにかかっています。つまり、受け手のクリエイティビティ能力が関与する割合がかなり高いのです。
 
ところが、ただ観ていればいいだけの映像は、受け手の創造力をあまり必要とはしません。つまり「気づき」が起きにくい。ということで、スピリチュアル関連の話題についても、今後は動画配信サービスがますます主流となっていくと思いますが、私は、あえて「読書」をお勧めするのです。
 
映像をただ観ていればよいというのは楽ちんです。しかし、いまの動画配信サービスは、その基本機能と構造において、そもそも高い波動のコンテンツを許容できるようにはできていません。多くの人々から共鳴を得るものは、たいていは低い波動のものですし、関連動画を紹介するアルゴリズムはより低い波動に収斂するように設計されています。こんなものに嵌ってしまったら、あなたの心は気がつかないうちにますます荒れていってしまいます。
 
読書は、ただ映像を観ていればよいのとは違って、自分から読みにいかなければいけないのでハードルがかなり高い。しかも読んでいる間はしんどい。けれども、そのしんどさが重要であるし、また必要なことなのです。なぜなら、しんどさとは、自分の上に覆い被さった重い蓋を除けようとするときの抵抗感だからです。
 
知識と智恵は違います。智恵は自己の内側から出てくるものです。外からくる知識をいくら増やしたところで、霊性は向上しません。内なる智恵の気づきがなければ、霊性の向上というものはありえないのです。ということで、時代遅れと思われるかもしれませんが、あえて読書をお勧めしています。
 
読書はしんどいかもしれませんが、気長に取り組んでいってください。また、本をお読みなる時には、サーッと通読するのではなく、1ページ1ページを納得が行くまで噛み締めて味わうようにしてください。そのほうが身につきます。大事なのは量ではなく、あなたの質的な変化なのです。
 

どこから手をつけていったらよいかというガイドに

スピリチュアル関連の図書はそれこそ数えきれないほどあります。しかし、本当に有意義なものというのは、実は非常に少ないのです。その理由は、一つには地上の人間の中に、高級霊からのメッセージを受信できる者(その役割を天から与えられて誕生してきた者)が、限られた人数しかいないということがあります。

霊的世界というものは、霊性(=霊的波動)の違いによって出来上がった純然たる界層社会です。このことは山登りと一緒で、高級霊が波動を下げて下級の霊とコミュニケーションを取るということは比較的容易なのですが(しかし下級霊のほうがそれに気づけないという問題は残る)、低級霊が高級霊にアクセスしようと思っても、よほどの浄化をしていなければそれは叶いません。そこまで波動を上げられないからです。
 
地球という惑星の上に降りた人間は、そもそもが波動を下げて肉化した存在です。そのため、霊能があると自称している人であっても、高級霊とコンタクトできる人というのはほんのわずかしかいません。ほとんどの人は低級霊とつながってしまい、低級霊というのはいろいろと悪さをしますので、それを「神」の言葉だと思って錯覚して語っている人がほとんどなのです。
 
もう一つは、どのような書籍も、みなある部分しか語っていないということがあります。広大なスピリチュアルな世界を知ろうとしても、あなたが地球上のことを全部いちどきに知ることができないのと一緒で、一挙に把握することなどはどだい不可能なのです。そこで、どこから手をつけていったらよいか、ということが大きな問題となってきます。
 
ならば、せめて「Spiritual World」の旅行ガイドブックが欲しいではありませんか。そう思って作ったのが、この「ライブラリー」コーナーです。
 

古典的な聖書や聖典について

今日、世界宗教となっている宗派の大部分は、今からおよそ2500年前に始まった「魚座の時代」の初期に登場したチャネラーによって説かれたものをベースに定着しました。今日からすれば、それはあまりにも古い時代であるために、すっかり神話化してしまい、それゆえ特別な価値を持ったものとして広く認識されています。
 
しかし、神の言葉を伝えるチャネラーは、いつの時代にも登場しているのであり、キリストも、釈迦も、ムハンマドも、みな我々と同じ人間であって、今の言葉で言えばチャネラーの一人に過ぎないのです。これは、彼らの存在意義を貶めようとして言っているのではなくて、そういうものだということを単に述べただけです。人間社会では、古い言い伝えだから価値がある、という思い込みが広く浸透していますが、それは正に思い込みに過ぎません。
 
我々が住む物質界には「時間」というものがあり、何事にも時間概念を被せて解釈しています。けれども、この宇宙の深層にある「真理」の世界、俗にいう「あの世」は、「無時間」の世界、別の言葉で言えば「永遠の今」の世界です。それゆえ、どの時代にあっても、本物のチャネラーであれば、必然的にみな同じことを説いているのです。違いはと言えば、科学の進歩度合い、その時代の人々の認識力や解釈力、社会体制やメディアの状況によって、言葉や、言い方や、伝達方法が変わるというだけです。
 
その意味では、近代あるいは現代に発せられたメッセージの方が、古い時代のものよりもはるかに優れているのです。しかし、一般にはそのようには見られていません。これは、宗教が権威化し、それに伴って聖書・聖典類も権威化されてしまったからです。
 
しかし、先に述べた理由に加え、古い時代にあっては、「真理」というものが時の政治体制を揺るがしかねなかったために、核心部分は記号化したり、隠喩的な表現を多用して隠したのです。これは後に、言葉の多様な解釈を生む原因となり、そのせいで同じ宗教内にもたくさんの宗派が登場することになりました。
 
そして今日では、各宗派が、それぞれ自分たちに都合のよい解釈をすることによって、「真理」そのものを歪めるところまで至ってしまったのです。その最悪の結果が、宗教戦争です。これでは、何のための宗教だったのでしょうか。
 
いま説明したことでお解りのように、古いものが正しくて、新しいものが偽物ということはありません。どの時代にも本物と偽物が存在し、見る人が見ればその違いが判るし、本物は時代を超えて、燦然たる輝きを放っているのです。
 
『虹の学校』としては、「アセンション」のために、あえて聖書・聖典類を読む必要はない、と言い切ります。権威主義は捨ててください。このライブラリーで紹介しているものを熟読するだけで充分です。そのほうが「真理」への近道です。研究のためにお読みになることは結構です。ですが、文言の「解釈」の問題は依然として消えません。むしろ、先に「アセンション」を達成してしまえば、聖書・聖典類に隠された意味がすんなり理解できるようになる、ということは請け合いましょう。