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「霊能」の成り立ちを知り、上手に「霊能者」と付き合おう

意識の階梯

すぐれた超能力者や霊媒との出会いは、時にみなさんを大いに助け、また霊的飛躍への機会を与えてくれたりもします。亡くなった人からのメッセージを伝えて貰ったときには非常に慰められますし、病気や人生上の苦難にあるときなどには脱出のヒントを頂けることもあります。また、今後の人生の生き方や、価値観に対する指標などをグッド・タイミングで示唆して貰えることもあり、彼らの存在は非常にありがたいものです。
 
ところが、冒頭に書いた〈すぐれた〉という「霊能者」に出会える機会は残念ながら極めて少ないのです。数々の名翻訳を手掛けられた近藤千雄さんも「これは世界どの国の霊能者にも言えることであるが、霊能が出始めると何となく偉くなったような錯覚を抱き、まわりの者にもてはやされされるとその錯覚を一段とエスカレートさせ、ご大層なことを言い出し、法外な金銭を取りはじめる霊能者があまりに多すぎる」とお書きになっています。
 
そのことは、人々もある程度は分かっているようで、よく「この人は本物だ」といった会話がなされているのを耳にします。では、「本物」とはどういう人物や言葉のことを指すのでしょうか? 逆に「ニセモノ」は、どういうところ見れば見分けられるのでしょうか? これは非常に難しい問題です。なぜなら、世間一般の人々は、そもそもが「霊能」というものを持たず、また霊界についての知識もほとんどありませんので、どこにその判断基準を置いてよいかが皆目分からないからです。
 
ということで、このコーナーでは、「霊能」と「霊能者」と呼ばれる人々についての考察と、なぜ「本物」と「ニセモノ」の差が生じるのかという点、そしてそれを踏まえた上でのよりよい付き合い方を解説して参ります。

「霊能」を持つ人とは、どんな人たちか?

先ずは「霊能者」という存在についてです。一般には〈霊的世界を知覚できる〉という意味合いで、「霊能者」という言葉が使われています。取りも直さず、これはその前提に、この宇宙には物質世界を超えた「霊的な世界」が存在するという考えを、多くの人々が受け入れているということを示しています。ところが、大いに問題なのは、人々の霊的知識に関する理解がほとんどないという中で、多くの人が自己の生き方の判断を「霊能者」に頼り切りにしているのです。
 
では「霊能者」は、霊的世界に関するしっかりとした知識体系をみなが持っているのでしょうか? 驚くなかれ、これが持ってはいないのです。多くの人が、みな自分の感覚だけで、「見た」「見えた」「聞こえた」ということを言っているに過ぎないのです。
 
「霊能」というものが、人間界の中でなぜまだら模様に分布しているかということについては、『アセンション 宇宙からのメッセージ』の中にその答えが示されています。古代において、悪い宇宙人が地球に来訪してきて、そのときいた人間に遺伝子操作を施して第六感以上を切ってしまい、自分たちに都合のよい奴隷人種を生み出したと。しかし、その企みから逃れた人間たちも僅かばかりいた。以来、時を経るにしたがって両者の混血が進んで行き、結果、「霊能」が 0 ~ 100 パーセントの間でまだらになったのだと。
 
実際には、まったくの 0 とか 100 という人間が今日にもいるとは考えにくいですが、およそすべての人間がこの中間のどこかにあると考えれば、今のまだら模様の理由が納得できるのではないでしょうか。しかしその前に、そもそもそんなトンデモ話が信じられるか、と思う方も中にはおられるでしょう。けれども、2019年末からのいわゆる「コロナ・パンデミック」が、「人類の遺伝子改変」の試みであったことを知った今となっては、その人たちの考えも少しは変わるのではないでしょうか?
 
一部の狂人たちの企みによって、人類を「奴隷人種 2.0」にバージョンアップしようという全地球規模の計画が、実際に行動に移されたのです。しかし今回も、その企みに引っ掛からなかった人たちがいたでしょう。それと同じように、「奴隷人種 1.0」の創造ときにも、難を逃れた人間たちがいたのです。このような成立過程から、先ず考えていただきたいのは、自称「霊能者」の「霊能」にもピンからキリまでがあるということです。
 
ところが、自称「霊能者」の中には、自分の能力になぜか自信満々という方たちが非常に多い。これが人々を大いに惑わせることになってしまうのです。もしかすると、自信満々の態度を見せなければやっていけないのかも知れません。「霊能者」のアドバイスを仰ぎたい人たちも、ズバリを求めてやって来るわけですしネ‥‥。
 
ということで、先ずみなさんに知っておいていただきたいのは、「霊能」の有無や実力というものは、すべて相対的なものだということ。言い換えれば、何ごとも絶対視してはならないということです。これは、決して「疑え」ということを言っているのではなく、「霊能」といえどもそうした幅のあるものだということです。完全な人間など、どこにもいないのですから。

*特定の問題についての回答が欲しい場合には、互いに関連のない複数のチャンネルに同じことをお訊きになることをお勧めします。もし同じ答えが返ってきた場合には、そのメッセージは信憑性が高いと見なしてもよいでしょう。

 
また、「霊能者」の「霊能」にはピンからキリまであるということ以上に、人々があまり気づいていない、あるいは誤解している重大な問題があります。それは、「霊能」と「霊性の高さ(霊格)」とはイコールではない、ということです。むしろ、まったくの別ものと考えていただいたほうが適切なくらいです。しかし大半の人々が、これをイコールと見なしているために、悪徳の自称「霊能者」に騙されてしまうということが往々にして起こるのです。

霊能者と言えども、自分の「霊性レベル」以上の波動はキャッチできない

この宇宙のすべては、バイブレーション(波動)の界層より成り立っています。「霊性」が高いとか低いとかというのは、人間を含む「知的存在」の現在の意識レベルが、今どの界層にあるかということを物語っています。

*知的存在の中には、現在は身体を持たない「魂」や、高次の霊的存在、他の惑星の存在などが含まれます。

 
意識の階梯と虹の階梯』のところで説明した「木杭と輪ゴム」の譬えで言うと、木杭がどの「霊性」レベルに突き刺さっているかということです。人間の場合、この「霊性レベル」は、その人の現在の「意識」のあり方と「行動」の中に自ずと顕れてしまいます。
 
次に掲載する『意識のマップ』は、「霊性」レベルと「意識」のあり方との関係を表にしたものです。この表の横のラインを繋いでいる「意識」レベルが、まさしくその人物の今の「霊性」レベル(つまり木杭の位置)を顕現しているのです。
 

 

さて、いま言った「バイブレーション(波動)」の界層構造ですが、この界層は、すべてが同一の場に重なって存在しています。みなさんがよくされている誤解の一つに、「この世」の向こう側に「あの世」があると考えておられるのではないでしょうか。しかし、そうではありません。「非物質界(あの世)」の中に、限定的に「物質界(この世)」として出現している界層がある。ですからみなさんは、「この世」を生きているときに、すでに「あの世」を同時に生きているわけです。そして、肉体の消滅後(つまり死後)は、現在の「意識レベル」=「霊性のレベル」にそのままスライドしていくということになるわけです。
 
そして、おおかたの人々は、肉体の死後、次の『霊性密度図』の「第4霊性密度」内のさらに細分化された領域(後述)へとスライドしていきます。肉体はもはや脱ぎ捨てているのですが、地上での意識(第1〜第4)レベルを抱えたまま非物質界へと移行してしまうわけです。ロバート・モンロー博士はこの界層を「信念体系領域」と名付けましたが、まさにその名のとおり、死後はそのまま自分の「信念(観念、思い込み、信仰)」が創り出す世界に移行していくのです。
 

 
そこでは地上とそっくりの営みが行われています。違うのは、昼夜の別や暑さ寒さもなく常夏が続いているということと、物質的身体を持ちませんので疲れも苦痛も感じないということ。身体的病気や不具はすっかり解消され、外見年齢も30代ぐらいに若返ってしまいます。地上では「霊界」は希薄なものですが「霊界」に行くと今度はそれが逆になる。霊的世界においては、非物質的波動が密の状態にあるために、その中で生活する住人にとっては、それがあたかも物質であるかのようなリアリティとして感じられます。ところが、逆にこの世の「物質」は、その中に散らばるまばらな粒子でしかないために、ぼやーっとしてしか感じられません。
 
ただし地上と大きく異なる点は、「波動の法則」によって、同じ「霊性レベル」の「魂」しか同一の界層に集まれないということです。同じ「第4霊性密度」内であっても、下は暗黒界(=地獄)から、上は光明に導かれる世界までと非常に幅が広い。この幹のどこかに、地上時代で形作った「意識」レベルに応じた木杭が打ち込まれ固定されるのです。
 
左図は、この領域内における界層がどのように出来上がっているかを、エネルギーの推移の観点から整理し直したものです。これを見ていただければ、まさに今の地上世界のあり方が、肉体の死後もそのまま移行して行くのだということがお解りいただけるでしょう。
 
さて、「霊能者」であれば、いま言ったような知識をみな持っているのでしょうか? いいえ、驚くなかれ彼らの大半は何も知識を持ちません。「霊能者」と言えども、「この世」を生きているときには、他の人々と同じように、同時に「あの世」を生きています。そして、「霊能」と「霊性」レベルとは決してイコールではない、という話を思い出してください。すると、どういうことが起こるでしょうか? その「霊能者」の今の「霊性」レベルが、この世に、現在の知性、感性、価値観、ものの考え方、言葉となって顕現してしまうのです。
 
さてそこで、その自称「霊能者」の「霊性」レベルが低かった場合には、「共鳴の法則(同調の法則、親和の法則)」によって、その「霊性」レベルに応じた界層の霊魂や情報しか拾えないということになります。そのため、こうした「霊能者」は、人を脅かしたり不安にさせるようなことばかり話し、あるいはエゴ的なものをそそのかしてその気にさせたりします。甚だしい場合には、悪魔的なものに取り憑かれしまい、それを神の言葉として語ったりもするのです。
 
ところが、奴隷人種として創造された人間は、「エゴ(餌)」と「恐怖(脅し)」に反応するようにしつけられていますし、「真理」よりもオカルティックな話のほうが好きなので、こうした「霊能者」の言葉のほうにより強く反応してしまうのです。
 
しかし、ここでみなさんにハッキリ言っておきたいことは、高次の霊的存在が、あなた方にエゴ的な誘いを仕掛けたり、恐ろしい予言を与えるなどということは絶対にあり得ないということ。そうしたものはみな低級霊の仕業です。ただし、真実を語っているというだけなのに、あなた方のほうでそれを勝手に「恐怖」と感じ取ってしまうということは大いにありえます。たとえば、〈誰もがいつかは「死」を迎えます〉と言ったとしただけでも‥‥。
 
人はみな、自分が見たいものを見るのです。
 
ですので、「霊能者」が語った言葉をよ〜く吟味なさってください。それが愛の法則から出た「真実」を語っているものなのか、それとも「エゴ」や「恐怖」を誘っているものなのか。高級霊には、後者のようなことは、たとえしようとしたとしても出来ません。それは不可能です。なぜでしょう? 「共鳴の法則」のことを考えてみてください。そのようなレベルはとっくに卒業してしまったからこそ、今は高い「霊性」レベルにいるわけです。
 
『第四霊性密度における魂の学習段階』図をもう一度見てください。そこには、地上で見られる様々な「意識レベル」の段階が見て取れるでしょう。下は通称「地獄(暗黒界)」から、上は「光を見た」と言っているレベルまで。この図の中間辺りに「教条主義的な信仰の段階」というのがあるでしょう。「暗黒界」よりは上位に位置していますが、それとても最低レベルを抜け出たという程度のものに過ぎないのです。なぜなら、「教条主義」というのは「囚われ」そのものですから。
 
それなのに、新興宗教の教祖やトップを自認する人たちの中には、「神と繋がった」と言っては霊言なるものを下ろして来る人物が時々います。がそれは、実際には、霊界側にも同じような教団があって、そことのコンタクトが成立したという現象に過ぎません。名前は挙げませんが、かつてこのような「ご託宣」を並べて信者を集め、一世を風靡した教団が、その後どのような末路をたどったかを振り返ってみてください。
 
どの業界にも「専門家」を自認する人たちがいます。お金の専門家、不動産の専門家、政治の専門家、医療の専門家、リフォームの専門家‥‥etc.etc.。でも、その自称「専門家」に騙されて被害に遭う人たちが引きも切らずじゃありませんか? 重要なのは、その人から発せられた「言葉」ではなく、その人物が持っている「動機」なのです。

「霊媒」と「神審者」  ──  その役割の違い

「さにわ」と言われる存在がいることを、ご存知でしょうか? 「神審者」と書いて〝さにわ〟と読むのですが、この「神審者」は、自身は「霊媒」ではないものの、「霊媒」が下ろしたメッセージに関して、その真偽や正邪を見分ける役割を持った人のことを言います。今日ではほとんど忘れられた存在ですが、1980年代くらいまでは「霊媒」と「神審者」とはコンビを組んで活動していたものなのです。
 
古代神道においては、神の「信託」を受ける人自身を「神審者」と言っていたようですが、大正以降の「心霊」ブームの時代に入ってからは、いま言ったような役割を果たす人たちを示す言葉へと変わっていきました。これは、「霊媒」が神聖な御神前で信託を下ろすという従来の役割だけでなく、世俗の中に入って憑き物を払うような作業を果たすようになったときに、それを検証する別の人間が必要となり、自然と役割が分けられていったのではないかと推察します。
 
というのは、「霊媒」というものは、基本的に自分を他の「霊的存在」の憑依にさらすものだからです。その「霊的存在」が、御神前のように高級霊であるという前提のもとで行われる場合には「霊媒」=「神審者」ということであってよかったかと思うのですが、悪霊と対峙するとなった場合には、「霊媒」に取り憑いた悪霊と対決する別の人間(しかも、霊的世界の成り立ちをよく解った人間)がもう一人必要となってくるわけです。
 
しかし、1990年代を境に、「心霊」ブームが終わってしまってからというもの、「憑き物払い」や「神下ろし」「仏下ろし」などと言われる活動もあまり聞かれなくなりました。通称「拝み屋さん」と言われた人たちも、これを最後にどうも払底してしまったようです。これにも理由があって、要は、そうしたものを必要としない時代に移行したということなのでしょう。
 
さて、いま言ったのは「心霊」ブームのころの「霊媒」と「神審者」の役割の違いというものに関してですが、この二つの機能は、そもそもにおいてその役割を分担しているようです。そのことを知らされたのは、「スピリチュアリズム」の研究家であった梅原伸太郎氏が書かれた文章を読んでからのことです。梅原伸太郎氏は、「霊媒」と「神審者」を、互いに必要な共同作業者のようにして位置づけられていたのです。
 
しかし考えてみますと、コナン・ドイル氏も、アラン・カルデック氏も、ジョン・レナード氏も、E・クローエル氏も、J・M・ビーブルズ氏も、また日本では浅野和三郎氏も、谷口雅春氏も、桑原敬善氏も、近藤千雄氏も、そして梅原伸太郎氏も、みなご自身は「霊媒」ではありませんでした。その代わりに「神審者」としての役割を果たしていたと言うことができます。かく言う私も「神審者」タイプと言えるかも知れません。
 
結局、「霊媒」と「神審者」は並行して走る車輪のようなものであり、両者が合わさって「宇宙の法則」の解明と理解が進んでいくようにできているのでしょう。

「霊媒」役に避けられない歪みについて

以前は、私も「霊能者」と言われる人たちのことがあまり解っておらず、驚きや、畏怖心や、羨望や、猜疑心といった複雑な感情を交えながら、「霊能者」を自称する人たちを見てきました。その中には、人生の転機ともなった重要なメッセージを頂いた体験もあるのですが、正直言って、信頼できるものは極めて少なかったと言わざるを得ません。その理由の一端については前のところに書きました。が、改めて整理しますと、
 
①「霊能者」自身が霊界の知識については、実はあまりよく解っていない
②その「霊能者」の現在の「霊性レベル(=霊格)」に応じたメッセージ内容しか受信も出力もできない
③受け取ったメッセージを言語化する段階で、その「霊能者」による恣意的な歪みがどうしても入ってしまう
 
といったことが主たる原因です。ここで③について補足をしますと、「霊能者」は、自分の内に浮かぶメッセージを、ビジョンや、シンボルや、音声や、比喩などのかたちとして受け取ります。これは、そもそも霊的世界における交信の手段が言語ではなく、意念のテレパシーによるものだからです。そのため、このような形態として受信するのです。この段階では、歪みはまだそれほど生じません。けれども、それらを言語化し、解釈したり意味づけする段階で、知識や語彙の量の問題や、自分の日ごろの考え方や色メガネの部分が入り込んでいってしまうのです。
 
受信したあとに、「こういうビジョンが浮かぶのだけれど、あなたに何か心当たりはないですか?」とでも訊いてあげればよいのですが、なぜかそういう「霊能者」はあまりいません。断定的に言ってあげないと、相談する側から信用されないからでしょうか? あるいは絶対的な自信を持っているからでしょうか? それとも、断定してしまわないと、自分の能力について自分自身の中に疑いが生じてきて迷うからでしょうか?
 
結局、歪みをどれだけ防止できるかは、その「霊能者」が、①の霊的な基礎知識をどの程度習得しているかということと、②の現在の「霊性レベル(=霊格)」がどの辺りに位置しているか、という前記の二つの要因に大きく左右されてしまうのです。なぜなら、「見えた」「聞こえた」と言っても、「波動の法則」によって、自分の「霊性レベル」以上の「波動」領域は知覚できないわけですからね。これが信頼に足るメッセージが限られる理由です。

「霊媒」の役割が問い直される

しかし、私も数々の失敗や落胆を経験したり、また「霊能者」の裏側の顔を知るようになってからは知識もだんだんと増えていき、そこにある構造というものがしだいに見えてくるようになってきました。
 
これから述べることは、おそらく「霊能者」の方々も解っておられないことだろうと思います。けれども、時代はいま劇的に進化していますので、こと「霊能」に関しても、従来の、ただ「信じる、信じない」とか「当たった、外れた」というレベルを超える段階へと、その背景を担う知識を飛躍させていかなければならないと思うのです。具体的には、より科学的に、また分析的に「霊能」を捉え直す時期に来ていると思います。
 
さて、これまでのところで「霊能者」という言葉を繰り返し使ってきましたが、それは世間の人々に、それが比較的馴染みのある言葉だからです。しかし実際にこれから述べることは、「霊能者」の中でも「霊媒」に限った話です。「霊媒」というのは、霊的世界から来るメッセージを地上の人々に仲介する役割を持った人のことを指します。英語では〝Medium〟と言い、まさに「中間」の存在です。
 
本来的には、「霊能者」というのは、「霊媒」を含むもっと広い能力者全般を指す言葉です。透視、体脱、千里眼、テレパシー、念写、物質化、人体浮遊、観念動力(Psychokinesis)、残留思念探査(Psychometry)、物品引寄せ(Apport)といった様々な超常的能力を発揮する人物を総称して「霊能者」と呼びます。しかしここで、あることにお気づきではないでしょうか? こうしたものが、1990年代後半以降パッタリと姿を消してしまったのです。
 
その理由として、1995年に「オウム真理教」に関連した重大事件が立て続けに起き、以来、テレビのコンプライアンスが急に厳しくなったからだといったことが言われているのですが、私はそれだけが理由ではないと思います。そこには、宇宙から地球を俯瞰した理由というものがあって、端的に言えば、そうした〝不思議現象〟に驚いていた時代がもう終わったということです。言い換えれば、ことの裏にある「本質」に気づくべき時代が到来した、ということだと思うのです。
 
さて、そのようにして、多くの「霊能(Psychic Power)」が失われゆく時代になった中で、こと「霊媒」に関しては、未だにその価値には有意義なものがあると考えます。なぜなら、それが霊的世界とのチャンネル(通信回路)を開く最も身近な体験になるからです。また、このチャンネルを開く行為(Channeling)そのものは、「霊媒」に頼らずとも、誰にでも出来るものだからです。
 
みなさんが誤解していらっしゃるのは、それが特殊な能力であって、自分にはできないものだと思い込んでいることです。そうではありません。チャネリングにもいろいろなタイプがあるのです。現にあなたも、ご自分では気がついていないだけで、日々チャネリングを実践しているのです。では、チャネリングにどんなタイプがあるかを順番に見ていきましょう。

チャネリングにもいろいろなタイプがある

次のチャートをご覧ください。
このチャートは下記よりダウンロードしていただけます。
Channeling のタイプ.png
以下の解説文は、このチャートと照らし合わせて読んでみてください。
 

 
ベースになっているのは、霊的世界の界層構造です。左端に並んだ数字は「霊性密度」の界層を示しており、横の括弧内にその界の通称の呼び方を表示しています。話を分かりやすくするために、第4霊性密度はさらに上下2つに分類しています。下方が「暗黒界」で、世間ではよく「地獄」と呼ばれている界層です。上方については通称というものがありませんが、ここでは「信念界」としておきます。右上に示してある凡例は、図中にある人形(ひとがた)の意味を表しています。

*この階層構造は、単に振動数の上下から成り立っているということを改めて念頭に置いてください。宇宙のすべては、単に「波動」エネルギーの上下構造なのです。すなわち、上方になればなるほど振動数が高く、したがって波長は短く、下方になればなるほど振動数が低く、したがって波長は長いという関係です。
 

加えて、第4霊性密度と第3霊性密度の境い目に、以後の説明のために特別に「現幽界」という領域を表示しています。これは、身体的には死を迎えているものの、死んだということに気づかずに、引き続き地上を徘徊している霊たちがいる場所です。本来であれば、この領域は第4霊性密度に含めるべきでしょうが、地上世界と幽界との間を跨いだ、どっちつかずの境い目にあるということを表現するために、ここでは特別に一つの界層としてそれを強調して示しています。
 
また、この「現幽界」と「暗黒界」のバックにブルーグリーンを敷いて、ひとまとめに見えるようにしてあります。これは、世間一般で言われている、また「霊能者」が話題にしている「あの世」というものは、もっぱらこの非常に狭い領域を言っている過ぎないということを、これから述べる「チャネリング」との関連で示すためのものです。

 

【霊視1】のタイプ

先ず【霊視1】のタイプです。ナチュラルな霊媒体質を持った人の多くは、通常はこのようにして霊視を行なっています。 どんな人であっても、身体は物質ですから第3霊性密度の領域に生きています。しかしその人の精神的ボディ(かつてはそれを「幽体」と言っていましたが、ここでは「霊体」としました)は非物質的エネルギーですので、我々は地上で生活しながらも、実は第4霊性密度以上の波動領域の中でも活動しているのです。
 
ところが、第4霊性密度以上といっても、第5霊性密度に達している魂(霊体)は、現在の地球上においては極めて少数者に限られるのです。それどころか、第4霊性密度の上部にすら達していない魂がほとんどです。これは、自称「霊能者」と言えども例外ではありません。その人物の現在の「霊性レベル」というものが、「木杭と輪ゴム」の関係によって、その人の精神が活動できる上限というものを決定づけてしまうのです。

*参考 ▶︎ 意識の階梯と虹の階梯「エネルギーレベル」にある2つの関門

 
するとどういうことが起こるでしょうか? 「見えた」「聞こえた」と言っても、自分の現在の「霊性レベル」以下の波動領域しか実は見えてはいないのです。しかしその「霊媒」からすれば、自分がいま見ている世界が「霊的世界」のすべてだと思い込む錯覚が生じます。これが、多くの自称「霊能者」が、幽霊話や不吉な予言ばかりをしている理由なのです。彼らは「神の言葉を告げる」などと言いながら、実際には、暗黒界や現幽界に巣喰う低級霊たちに都合よく利用されているのです。

*一方、世間一般の人々も、恐怖心、エゴ、オカルトを煽るものにはより強く惹かれる傾向がありますので、「共鳴の法則」によって両者の思惑が一致し、一つの暗黒的なエネルギーの勢力(Attractor Field)を形づくっていくのです。
 

【霊視2】のタイプ

次は【霊視2】のタイプです。これは「霊媒」が人から相談を受けたときに、自分の霊視の感覚のみに頼らずに、相談者の背後霊を読みに行っているという場合です。背後霊というのは、守護霊、指導霊、支配霊を集めた総称で、どんな人間にもこのような霊団が、担当する人物の霊的成長をバックアップするために付いています。

*「背後霊」という言葉がなかば幽霊的に扱われてきたために人々にあまり好まれず、一般には「守護霊」という言い方がよくされています。が「守護霊」というのは、正確に言うと霊団を取りまとめている指揮・監督役のことを言います。各人に実際に寄り添っているのは「指導霊」と「支配霊」で、「指導霊」は担当する人物の霊的成長を促すアレンジをし、一方の「支配霊」は運命を決定づけるアレンジをする役割を担っています。なおこの図では、「背後霊」を第3霊性密度内にある身体の横に置いていますが、実際にはそれと重なってある第4霊性密度の領域にあることにご留意ください。
 

この背後霊には、最低でも第4霊性密度の最上部クラス程度にまで成長した魂にしか成れません。したがって、その「霊媒」自身が「暗黒界」を超えた上部にアクセス可能な波動を持ち(つまり「霊性レベル」がその程度にまで高く)、かつ背後霊を読みに行けば、背後霊を通じて第5霊性密度までのメッセージが頂けます。ですので、相談者をほぼ正しい方向に導くことが出来ます。(〝ほぼ〟と書いたのは、それでも「霊媒」の解釈の歪みが多少は入るため)

 

【霊視3】のタイプ

背後霊の助けを借りる別の方法に【霊視3】のタイプがあります。これは「霊媒」が、相談者の背後霊を見に行くのではなく、自分の背後霊に聞きに行く方法です。背後霊には相談者にまつわる霊的状況というものがぜんぶ見えていますので、そこから読み取った結果を「霊媒」に伝えてきてくれるのです。ただしこの場合、背後霊はあくまで〈相談者の霊的成長〉という観点から今の置かれた状況を判断し、かつ相談者を傷つけることがないような配慮をします。
 
したがって、相談者の個別の質問にズバリ答えるということはまずありません。それよりも、もっと大きな観点から相談者の霊的成長を見ています。けれども、そこで語られる言葉は普遍的な「真理」から導き出された言葉となるために、相談者の内面にその言葉に対する気づきがなければ、回答を物足りないと思ってしまうかもしれません。しかしこの方法は、相談者が持ち込む低い波動に絶えず晒され続ける危険から「霊媒」を守る優れた方法でもあるのです。

 

【霊言や自動書記】の場合

次は、【霊言や自動書記】の場合です。「霊言」は初期においては「入神談話」などとも呼ばれていました。「入神」とはトランス状態に入ることを言います。ですから、「霊言」や「自動書記」が行われる場合には、その前提として「霊媒」がトランス状態に入っていなければなりません。そして、トランス下の中で、自分の「霊体」を身体から脇にどけて、代わりに高位の存在に身体を明け渡すのです。簡単に言えば、高位の霊に憑依させるわけです。
 
そうやって、自分の口や手を高位の霊的存在に使ってもらうのです。ですから、このようなときには自分をモニタリングする意識がほぼ失われてしまいます。よって、「霊媒」の他に介助者や神審者が必要となってきます。また「霊媒」には、この間になされていたことの記憶がほとんどありません。ですから、「自動書記」の場合には記録がそのまま残るので問題がないのですが、「霊言」の場合には速記者や録音が必要になってきます。
 
「霊言」を伝えてくる発信元は、最低でも第4霊性密度の中間レベルを超えた存在で、第5、第6と進むにつれて発信元は減少していきます。これは、第5、第6と「霊性レベル」が向上するほど、地上の人間をサポートするという役目からは遠去かり、別の役割を担うようになっていくからです。また仮に霊的指導の役割を担うにしても、第6の存在が第5を担い、第5の存在が第4を担うといった具合に、隣り合った一つ下の界層を担当します。

*例えば新しい生命体の創造や、評議会の運営など。

 
よく「霊言」と称して、歴史上の超有名人(たとえば、イエスとかブッダとか)の名前を出し、そこからのメッセージが下りたと言っている人の例を耳にしたりするのですが、そのようなことは論理的に言ってありえません。なぜなら、神界(第6霊性密度)にまで達した高級霊が、地上の人間にダイレクトにメッセージを伝えるということは出来ないからです、「波動」レベルがあまりにも違い過ぎて、一気にはエネルギー調整ができないためです。

*界層が変わっていくたびに振動数が幾何級数的(べき乗単位で)に劇的に上下する。参照 ▶︎『霊性密度と振動数』

 
それにイエスもブッダも日本語を話せないわけですから、その意を日本語として言語化する媒介者が途中段階で必要になります。ですから、仮にもし神界からのメッセージがあったとしても、霊界中の「霊媒」をリレー式に経由してくるということになります。そして、その全体のコーディネイトを背後霊が行なっています。
 
さてそうなったときには、発信元が誰であるかなど、もはやどうでもよい問題になってしまうということがお分かりでしょう。実際、あのシルバーバーチも、自分は霊界側にいる「霊媒」役に過ぎないということを明言しています。ですから、発信元はシルバーバーチよりもさらに高位の霊的存在ということになるのですが、その名前は杳(よう)として明かされていません。
 
「神界」の上位にいるのは超古代霊です。師匠(=指導霊)と弟子の関係というものは連続していて、師匠の上に師匠がおり、そのまた上に師匠がいるという形で、この関係が連綿と続いていて超古代霊にまで繋がっているというわけです。ですから、われは何者だと名乗ったところで仕方がありません。それに、高位の存在になればなるほど、クラスターが大きくなって個別生を失って行きますので、地上時代の名前を誇るなどということもあり得ないのです。
 
ですから、そんなものを気にするのは、みな権威主義に毒された地上の者たちから出た考えなのです。実際に、通信霊が霊的に高い存在になればなるほど、もう名前すら名乗らなくなり、単なる記号的なものになっていってしまいます。
 
一方、情報の発信元が、自分が生前よりよく知る血縁者や知り合いの霊からという場合があります。そうした霊がコンタクトして来るのは、本質のところで、「死後世界」の実存と霊魂の不滅を説くためにやっているのです。「心配しないでね。自分は元気にやっていますから」と実在を示すのです。しかしこれも、「帰幽」した霊たちみながみな通信できるというわけではなく、最低でも第4霊性密度の中間レベルを超えた存在に限られます

*「暗黒界」以下に行った存在は、自分が今どうなっているかということにすら気づけない。

 
しかしこのような霊は、「霊的世界」に入って間もない霊であり、環境の素晴らしい変化にまだビックリしているという段階です。身体を脱ぎ捨てたことによって超能力者となってはいますが、「霊的世界」の実相についてはまだほとんど何も知らないのです。ですから、こうした霊たちも、しばらくすると自分自身の霊的向上と学習のほうがずっと重要だということに気づいて、まもなく地上の人間とのコンタクトを止めてしまいます。
 
と、そんなわけですから、地上の人間が「供養」だと言ってメソメソといつまでも死んだ人間のことを思い続けることは、霊的学習と向上の意欲に燃える彼らの足を引っ張ることになりますし、またお互いのためにもなりません。それよりも大切なのは、両者共に明るく元気に過ごすことなのです。そうすれば、「共鳴の法則」によって、お互いが向上し合えるのです。地上で生活していても、「魂」は、亡くなった人たちと同じ界層を生きているからです。

 

【霊言や自動書記】の変形バージョン

さて、この【霊言や自動書記】パターンの変形バージョンに「対話型」というものがあります。先のところで、この方式では「霊媒」がモニタリング意識を失ってしまうと書いたのですが、モニタリング意識を完全に失うことなく同じことができる「霊媒」が、ごく少数ながらいるようです。まさに脅威のテクニックですが、この人たちは、自分ひとりで「霊媒」役と「神審者」役をまるでスイッチを切り替えるようにしてこなすことができるのです。(『神との対話』シリーズは近年の代表例)
 
口を使う「霊言(口寄せ)」では難しいでしょうが、「自動書記」の場合には手が勝手に動くので、自分の霊を身体から完全に出すということはせずに、その場に置いたままそこにさらに高位の霊を憑依させ、一つの身体をシェアし合えば、理論的には可能です。果たして、ステイントン・モーゼス(W. Stainton Moses)氏の『霊訓』の中にその記述を見つけました。
 
あるとき、モーゼス氏が、自動書記を行なっているときの自分はいったいどんな状況下にあるのだろうかとふと疑問に思って、完全体脱したうえで、その様子を外側から観察してみたそうです。そうしたところ、身体である自分の周囲に霊団が結集していて、その中から一条の光が伸びて手首を照射しているのが見えたと。その結果、「自動書記」は、霊団たちによる手の遠隔操作で行われているということが分かったと言うのです。納得できる興味深い話です。

 

【憑依現象】

さて次の例は、いわゆる【憑依現象】です。【霊言や自動書記】でも「憑依」が起きているということをいま申し上げたのですが、ではそれと、世間一般で言われることの多い「憑依」とでは、いったい何が違うのでしょうか? この決定的な差は、取り憑く霊の「霊性レベル」の違いです。前者は、最低でも第4霊性密度の上部以上の霊。対して後者は、それよりは下の「暗黒界」や「現幽界」にいる霊が取り憑いた場合を、特に【憑依現象】と言っています。
 
この両者を分けるのは、その時点での、その人が発している「波動」の高さです。自分の「波動」を高めてやれば、「共鳴の法則」によって高い霊性を持った霊を「憑依」させることができますが、逆に下げてしまったときには、低い波動を持った霊を引き寄せ、これらに「憑依」の機会を与えてしまうのです。【霊視1】が危険だと言った理由はそこにあります。自分では「霊能」を駆使しているつもりであったとしても、それは邪霊が渦巻く海に自分からわざわざ飛び込みに行くようなものなのです。
 
ところで、昨今ではさまざまな精神疾患が話題にされていますが、そのしつこいもの、特に依存症はほぼ100パーセントが「霊障」によるものです。「霊障」には、地縛霊によるものと、憑依によるものの、大きく二つがあります。精神科医が言うような、脳の機能障害がまったくないとは言い切れませんが、実際にはほとんどありません。むしろ、向精神薬の投与によって、だんだんと本格的な機能障害にさせられていくのです。そうすれば、また別のクスリを出せますから。
 
精神は物質ではありません。これは自明の話です。それなのに、その原因にしても、解決策にしても、なぜみんなこんなフィクションを信じてしまうのか、まったく不思議でなりません。
 
ところで、この【憑依現象】の中に、同時に何人もの邪霊に取り憑かれるという例があります。よく知られた話に『24人のビリー・ミリガン』があります。これは、今日になっても、なんとか脳機能の問題として説明しようとしているのですが無駄な努力というものです。心は物質ではありません。そうではなくて、これは一人の身体を24人もの霊が取り合いをしていたという話なのです。

 

【リーディング】

さて、次に掲げるのは【リーディング】です。英語で「Reading」と書き、その名のとおり「読みにいく」という意味です。これは、今までに説明したものとは、毛色がだいぶ違っています。これには背後霊の補助を必要としないということと、自分から情報を取りに行くという点で、他のチャネリングとはその性質が大いに異なっているのです。
 
万物の元をたどれば、すべてが一つの振動するエネルギーに行き着く、という話は他のところでも何度も述べてきました。ですから、説明上、これまでいろいろな話を「意識」とか「物質」に分けてあれこれ語ってきてはいるのですが、原点にまで遡れば、それらはすべて一つの源へと還元されます。つまり、すべては一つへと繋がっています。そして、そのすべてに「意識」が浸透しているのです。さてそのとき、あなた方が繰り広げているあらゆる活動は、この大宇宙の中に、大きく二つの分野に分かれて痕跡を残します。
 
一つは、あなたの「意識」です。もう一つは、あなたの行動が外部に与えた「結果」です。しかし人間というものは一人で活動をしているわけではありませんので、前者はそれぞれの意識が集まって集合意識を形成し、後者はいろいろな行動が集まって集合体としての結果を宇宙の歴史に残していくのです。そうした中で、前者については「今ここ」というライブで動いていますので、こちらは絶えず書き換えがなされてしまいます。ところが「結果」である後者は、そのエネルギーが徐々に減衰し完全消滅しないまでの間は、永く記録に置かれ続けるのです。

*霊的世界は無時間であり永遠の今ですから、すべてが同時連続的に動いています。その中には、あなたのすべての輪廻転生の物語もあらかじめすでにあるのです。また、それは「意識」だけの世界ですので、実現しなかった物語さえもが存在しています。

 
これが「アカシック・レコード」と呼ばれるもので、宇宙の図書館として第5霊性密度以上のどこかの領域にあります。「リーディング」というのは、これを読みにいく技です。ということで、これを行える「霊媒」は天使クラス以上の「霊性レベル」を有する者に限られ、おそらく生まれながらにしてその役割を担って誕生した魂であろうと推察されます。ですから、 努力して「リーディング」の技を体得するということは、多分できないでしょう。
 
「リーディング」は、「霊媒」が自我を無にして、アカシックを読みに行くという作業ですので、言語化さえスムースに行われれば、「霊媒」の歪みが入りにくいという特徴がありす。また、基本的にはどんな質問にも答えることができます。しかし「アカシック・レコード」 の性質上、宇宙構造や社会構造や歴史などに関する質問を投げかけたときには、人々が知り得ないような驚くべき洞察的な回答が得られるものの、まだ起きていない未来に関する予言に関しては苦手なようです。
 
また、質問者のためにベストなアレンジをしてくれる背後霊というものが介在しませんので、個人的な質問をする場合には、質問内容をよく吟味工夫しないと、自分の思惑とは的が外れた回答が返ってくることがあります。
 
「リーディング」の創始者は、一般にエドガー・ケイシーだと言われていますが、それ以前に活躍したアンドリュー・ジャクソン・デービスが行っていたものは、やはり「リーディング」だったと思います。歴史をたどれば、おそらくどんな時代にも同様の「リーディング」の技を持つ人が存在していたのではないでしょうか。

 

【体脱体験】

以上、これまでは「霊媒」のタイプについて解説してきました。が、続く2つはあなたにも起こり得る体験についての説明です。まず最初は【体脱体験】です。これは、以前には「幽体離脱」などと呼ばれていたのですが、それではオカルティックな感じがしますので、ロバート・モンロー博士によって「体外離脱体験(OBE)」と呼ぶように改められたのです。モンロー博士はそう呼ぶことで、そこに科学的な視点と分析を新たに追加しようとしたのです。

*Out of Body Experience

 
けれども、あなたはこうおっしゃるかもしれません。「体脱体験」なんて、自分は一度もしたことがないと。しかしこれには2種類があります。モニタリング意識を働かせた上でする「体脱体験」と、モニタリング意識がない状態でする「体脱体験」です。後者は「明晰夢(Lucid Dream)」と呼ばれています。
 
人が眠ったときに見る夢にも2種類があり、一つは自分の潜在意識の記憶が浮かび上がってくることによって見る夢です。これらは雑夢と言って、重要視すべきような内容のものはあまりありません。が、もう一つは自分の意識が「体脱」して霊的世界に入り、そこでの体験を味わう夢です。後者の夢は、前者とは違って非常に生々しく感じられ、リアルな体験として、夢から覚めた後でもしばらくはその記憶が消えません。
 
これを霊界側から見ますと、眠りに落ちた人がしばしば闖入してきて、他の霊たちと同じように徘徊する姿が見られます。このような体験には、背後霊のアレンジが加わっていて、その体験の中には重要なメッセージがシンボルの形となって隠されています。 これを「夢告」と言い、その人にとって、そのタイミングでまさにベストなメッセージが、守護霊団より与えられているのです。 ですから、それを見逃さないようにしてください。
 
一方の、モニタリング意識を残したままでする「体脱体験」ですが、これが行える人というのはかなり限られているようです。私もこれまで一度も成功したことがありません。もしできた場合には、世界中のどこにでも瞬時に飛んでいき、好きな場所を見ることができるだけでなく、背後霊の導きによって、霊的世界の様々な場所を訪問体験することもできるのですが‥‥。上手くすれば、誘導瞑想や退行催眠でも同様の体験が得られる場合があります。それと、意外にも経験者が多いのですが、いわゆる「臨死体験」は「体脱体験」の一種です。

 

【インスピレーションと直感】

さて、 最後の【インスピレーションと直感】は、どなたにも馴染みのあるものではないでしょうか。ただし、自分では日常的にそれを使っているのに、気づいていないということがあるかもしれません。また、先人たちの多くが【インスピレーションと直感】の重要性というものを過去に語ってきてはいるのですが、その正体が何であるかということや、どのようなメカニズムでそれが生じるかということがちゃんと説かれたことがない、ということも真剣にうけとめようとする人が少ない原因になってきたと思います。
 
しかしこれからは、ぜひとも「意識」を意識する習慣を持つよう心がけてください。それが、あなたが、あなたの「指導霊(Guide)」との交信を始めるきっかけとなります。実に、インスピレーションも直感も、ともに「指導霊」を媒介とした「霊界通信」に相当するチャネリングなのです。「指導霊」の背後には守護霊団が控えています。インスピレーションや直感は、そのチャンネルを通じた守護霊団からのあなたへのメッセージなのです。
 
インスピレーションも直感も回路は同じものですが、「直感(Intuition)」はあなたのハイヤーセルフが伝えてくるもの、それ以外の守護霊団から来るものが「インスピレーション(Inspiration)」です。よく言う「内なる声」なるものは、「指導霊」から送られて来るテレパシーです。しかし、世間一般の人々はこうしたメカニズムを知りません。そのため、「内なる声」がふと浮かんだとしても、「錯覚かな?」と思って無視したり、それが自分にとってどれほど重要なメッセージであるかということは考えもしないのです。
 
しかし人間は、たとえ肉体を持ってこの地上に生まれたとしても、その主体はあくまで霊的な存在です。あなたというアイデンティティは、「霊魂」にあるのです。そして、霊的存在として、地上にいるときにしかできない体験を通して霊的成長を図ろうとしているわけです。 そのことを理解すれば、目の前で毎日忙しく繰り広げられていく瑣末な出来事よりも、インスピレーションや直感のほうが、自分にとって遥かに価値あるメッセージであるということが容易にお解りいただけるのではないでしょうか。
 
そして、いま言ったメカニズムによって、インスピレーションや直感は絶対にあなたを裏切るということがありません。すべてが必然で動いているのです。与えられたものが、たとえ試練であったとしても、長い目で見れば、あなたの霊的成長を飛躍的に向上させるヒントがその時々に与えられているのです。
 
以上、チャネリングの様々なタイプについて解説しました。

終わりに  ───  あなたもまた、メッセンジャーの一人なのです

みなさんは、これまでに解説してきたようなメカニズムを知らないために、「霊能者」と言われる人たちに対して、とかく過剰な畏れや崇拝の気持ちを持ったりしがちです。しかし、「霊能者」といえども、それは足が速いとかピアノが弾けるといった人間の能力の一つに過ぎないのです。
 
地上にある以上は、誰もが不完全な人間です。特殊な能力を持つ人に対して、ごく自然な敬慕を抱くことは構いませんが、神のような存在として持ち上げたり、盲目的にただ着いて行ったりすることはもう金輪際やめにしなければなりません。特別視はその人物の増長を招きますし、崇める人たちの霊的成長をもその段階で止めてしまいます。どちらにとっても良いことではありません。
 
重要なのは、「霊能」の有無ではなく、メッセージを伝える「霊媒」の霊性が、今どのレベルにあるかということです。それによって、伝えられるメッセージの内容や価値が大きく違ってきてしまうのです。
 
「霊性レベル」を判断する一つの方法は、前のところでも紹介した『意識のマップ』に照らし合わせて、その人物の今の意識のあり方を見てみることです。「霊性レベル」は「意識表現」として表層に出るからです。また、エゴをどの程度手放しているか、自己愛 → 利他愛 → 博愛 → 宇宙愛のどの段階の「愛」を見せているか、ということでも判断できます。
 
そして忘れてならないことは、あなたもまた広義の意味では「霊媒」の一人であるということです。どの人の霊的能力も、0 から 100 パーセントの間にある。以前に、「誰もがメッセンジャーである」と言ったことがあったでしょう。その意味はこれです。人生は表現活動なのですし、その表現活動を通して、つねに他の誰かに何らかのメッセージを発信しているのです。それは同時に、あなたもまた、現在の「霊性レベル」が問われるということを意味しています。
 
インスピレーションや直感を受け取れるようになるためには、チャンネルを合わせなければなりません。あなたの「霊性レベル」が ─── つまり意識の状態が ─── 向上しなければ、インスピレーションや直感はなかなか受け取れないのです。しかし、今のご自分の「霊性レベル」が、たとえまだまだまだ低いと感じたとしても、落胆することはありません。そもそも、それを向上させるために誕生してきたのですから。
 
木杭と輪ゴムの喩えを思い出してみてください。輪ゴムを上へ上へと引っ張り続けていれば、木杭もいつかは動きます。だから、向上に励みなさい。日々、自分の意識と行動に向き合い、エゴを滅していきなさい。そして、周囲の人々に、あなたができる範囲の愛を施しなさい。あなたの守護霊団は、そういうあなたたちをつねに応援してくれています。