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imanari2011.jpgImanari Munekazu

居多ヶ浜2.jpg誕生した海辺の町
今成護久.jpg祖父 今成護久
快慶院210.jpg快慶院(六日町)

Profile

今成 崇和
1954年、新潟県生まれ。東京都在住。一男あり。
今成家は1709年創建の修験道(山岳密教)寺院で、祖父今成護久は大僧正であった。しかし父宗悦は軍隊に応召されたために修験を継がなかった。

太平洋戦争に破れて9年目。戦後復興もあるていど進んだ1954年、新潟県のとある海岸線の町で誕生。上二人は姉で、末っ子であった。
幼少時、従兄弟に苛めを受け続けたことや、両親や姉たちとの葛藤があり、家庭内で孤立していた。
小学生の頃から厭世的気分が非常に強く、体も弱く人並みでなかったことに、大きな不安や怖れを感じながら育った。

一方、宗教家の家系に生まれたという意識が常にあり、死後の世界、宇宙の構造、数学、物理、科学、芸術に強い興味を持っていた。

中学を卒業すると、工業高専へ進学するために家を出て寄宿舎に入った。
5年後、20歳で高専を卒業したものの、世の中に出ることが怖くて就職ができなかった。完全な社会不適合状態であった。
実家に戻る決心もつかず、東京に出ると、27歳まで今でいうフリーター生活を送った。

しかし27歳のとき、長らく疎遠だった父が亡くなり、それを機に生活を変える決心をする。
その年に結婚をすると、31歳で長男が誕生。33歳で自分の会社を設立すると、マーケティング・コンサルタント業を開始する。
コンサルタント時代には、現在普通に使われている「ライフスタイル」という概念をマーケティングに導入する先駆けとなった。

幸い会社は順調であったが、働き過ぎて家庭を顧みることなく、妻との関係がしだいにギクシャクする。
そんな矢先、自分が51歳になったとき、妻にスキルス性の胃癌が発見される。また、焦って始めた飲食店経営に失敗、多額の借金を抱えるはめに陥る。
私はそれまでの生き方を反省し、看病に全力を尽くすも、10ヶ月後に妻は死亡。痛恨の極みであった。

2008年、レクイエムとして、映画『おとうふ』を自主制作する。また看病体験を通じて思うところあり、55歳を期にコンサルタント業を引退。残りの人生を「霊界」研究、「真理」探求に懸ける決心をする。

2011年、未曾有の大震災に接し、これまで自分がさまざまな体験をしながら学習してきたことを発表し、人々にお役立ていただきたいとの思いが強くなる。
2012年4月2日、Web上に魂の回復を応援するサイト「虹の学校」を開校。現在、アルバイトで生計を立てながら、運営に当たっている。