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「霊能」と、知性、霊性、人間性には何の関係もない

2013.9.16(月)

世の中で「霊能」を持つ人というのは、少なからず居るようです。人はもともと霊的な存在ですから、程度の差こそあれ、誰でも霊的な感覚が発揮された瞬間というものを経験しているはずです。たとえば電話が鳴る寸前に誰から掛かってきたかが判ったとか、大切な人が亡くなる前に虫の知らせを聞いたとか、突然インスピレーションが沸いたとか。またこうした感覚は、訓練によってある程度は能力を向上させることができます。

ところが霊能者といわれる人たちは、こうしたレベルを遥かに超えている人たちです。霊的存在との交信ができたり、未来予知ができたり、リーディングができたり。それら「霊能」の現れ方には様々なタイプがあるのでしょうが、要は霊界へのチャンネルが常人よりもずっと開かれている。これを第六感と言ったりすることもありますが、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感にも並外れた感覚を持つ人がいるのと同様、第六感にも並外れた感覚を持つ人が居るということです。

ただやっかいなのは、この能力に限っては、ハッキリと確かめようがないということです。そこで自己申告を信じるしかありません。これがたとえば、100メートルを何秒で走れるかという能力を問うたとすれば、10秒なら大変な才能です。11秒、12秒前半だってかなり能力が高いとすぐに判ります。逆に15秒も掛かるようでは、100メートル走に関しては才能がない。

ところが「霊能」となると、そもそもあるのかないのか、あるとすればレベルはどれくらいなのかがまるで判りません。100メートル走に喩えれば、10秒を切るようなすごいレベルなのか、11秒・12秒レベルなのか? かろうじで、予知や霊視がよく当たるとか、通常知り得ないことを話しているとかで判断するしかないのです。しかも判断すると言っても、その世界に通じている人でないと本当のところは難しい。骨董品の鑑定が難しいのと一緒です。いわゆる審神者(さにわ)が必要になってくる。

こうした特殊事情から、霊能者に限っては、さまざまなやっかいな問題が生じて来ます。「霊能」がまったく無いのに有ると主張している詐欺師的な人はほとんど居ないと私は考えていますが、低級霊とチャネリングしてしまっている人や、パラノイア的傾向の強い人はかなり多いのではないでしょうか。ところが一般人にはその違いが判りませんから、みんなありがた〜い先生だと誤解してしまう。そこで霊能者自身もますますパラノイア的傾向を強めて行くという例が、どうも見ていて後を絶ちません。

そこで私が申し上げたいのは、「霊能」と、知性、霊性、人間性には何の関係もない、ということです。これは私が今まで経験してきた実感です。「霊能」は、100メートル何秒で走れるかと同じ一つの特殊能力です。100メートル10秒で走れることと変わらない。100メートル10秒で走れることと、その人の知性、霊性、人間性には直接的な関係がないのと同じように、「霊能」と、知性、霊性、人間性には何の関係もないのです。

ですから、単に「霊能」を持っているからという理由だけで、その人を盲目的に崇め奉るのは慎まなくてはなりません。むしろ見るべきは、「霊能」ではなく、知性、霊性、人間性において尊敬できるかという点です。これらを兼ね備えた霊能者は非常に少ない。

まず知性ですが、戦前の宗教ブームの開祖には無学な人が多かった。無学なのに突如神がかってお筆先をしたためたり、異言を発したりしたので、余計に信憑性が高まったのです。必ずしも無学=知性がないとは言えませんが、私が見るところ、現代の霊能者も言いっ放しが実に多い。自分が話したことを歴史的に調べるとか、学術的に検証するといったことをしている人はほとんどいません。ですから、自分で自分の霊能を信じ込んでしまっている。

次に霊性。えっ「霊能」があるのに霊性が低い人なんて居るのか? 居るんですよ、たくさん。こういう人が人々を惑わしてしまうのです。このタイプは、言動を注意して見ていればすぐに判ります。故意に恐怖を植え付けるか、または逆に人生のすばらしい成功を強調する。ムチとアメ。悪と善の二元論です。これだけで、霊界のことは本当はよく解っていないか、または解っていても故意に騙しているか、そのどちらかであることが判ります。なぜなら、恐怖も成功も「この世」の論理だからです。

人は真理に暗い。「人の心は、真実よりも虚偽のほうに感化されやすくできている」と語ったのは、16世紀のオランダの人文学者、デジデリウス・エラスムスです。残念ながら、偽物の情報の方を人々は喜ぶし、人気が高いんですね。それを霊能者も解っているのです。何よりも自分自身がそういう性向が強い。多くの人を惹き付けて、その結果自分が成功したい。そして成功のあかつきには、自分自身が成功者の生きたモデルだと主張して、またまた多くの人を惹き付けてゆく。

そして最後に人間性。私は「霊能」などなくてもよいから、むしろ人間的魅力に溢れた人物を師と仰いだ方がどれほどましかと思っています。と言うのも、人間性を欠いた霊能者がこれまた実に多いからです。周囲に対して威圧的、支配的に振る舞う。自分からは何も行動しない。人にものを頼めない。周囲に依存し続けて平気。感謝の念がない。家族関係がメチャクチャ。

ところが、説くことは素晴らしい慈愛に満ちた言葉だったりするので、周囲の人たちは、こうした人間的な欠陥も、その霊能者が特別な存在だということを補強しているものだと勘違いしてしまうのです。人間性を欠いたおかしな行動には、凡人には解らない、きっと何か深い意味があるに違いないと思い込むようになるのです。挙げ句の果てには、誰がいちばんそのことを理解しているかという競争まで起きる。こうなったら、もうカルト化していく一歩手前の状態です。

そこで霊界の法則に照らして、次のことにもう一度気づいていただきたいのです。その霊能者が、今世なぜ人間として生まれて来たのか、ということをです。やはりカルマが残っているから転生してきているわけですね。霊能者と言えども決して完全ではないということです。

「霊能」は確かに優れているけれども、人間的な欠陥が非常に目立つ。このような人は過去世でも霊的なことばかりに目を向け過ぎて、現実的な生活を疎かにしてきた疑いがあります。そこで、今世はそのバランスをとるために転生してきているのに、今世でもまた同じことを繰り返しさらに「霊能」にのめり込んでしまう。これに縁ある魂がまたも巻き込まれて、同じことを繰り返す。こうした例は少なくありません。

繰り返しになりますが、今述べてきたことを念頭に置いた上で、霊能者と接していただきたいということです。「霊能」は、足が速いとかピアノが弾けるといったことと同じ一つの能力に過ぎません。あなたにとって大切なことは、霊能者を崇め奉ったり、霊能者の言いなりになったりすることではなく、今世の自分の課題を生きることです。それは、一人の人間としての霊能者にとっても同じこと。そこに真摯に向き合っていない霊能者は、真の尊敬には値しません。

ブライアン・ワイス氏指南

超能力者の見分け方

ブライアン・L・ワイス氏が、著書『「前世」からのメッセージ』の中で、超能力者や霊媒の偽物と本物の見分け方を詳細に解説されていますので、以下に転載します。私も過去の経験から、すべて腑に落ちることばかりです。どうぞ、ご参考になさってください。

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私達はみな超能刀者であり、自分で思っているよりもずっとすばらしい直観力を持っています。超能刀者から得た情報をあなた自身の直観的な知恵を基準にして、注重深く評価して下さい。もし、与えられた情報が正しくない、または合っていないと感じたならば、それはおそらく間違った情報です。あなたも超能力者なのです。

超能力者や霊媒が受け取った情報は、あなたに伝える前に一時、必ず霊媒によって加工されます。ですから、情報は超能力者の心理によって、かなり歪められる町能性があります。歪みの大きさは霊媒の個人的問題によります。超能力者も人間であり、たとえ優秀な超能力者であっても、個人的な問題ーー気分、欲望などが超能力のプロセスを邪魔すると、歪んだ情報を伝えることがあります。

インチキな人達は高い科金を取り、自分の忠告にあなたを従わせようとします。また、自分は他の誰も持っていない能力を持つ「特別な」存在だと見せかけたり、あなたが従うべきグルなのだと思わせたりします。こうしたやり方に気づいたら、すぐに逃げ出しなさい。
南アメリカでは、すぐれた霊媒やヒーラーの多くは他の職業で生活費を稼いでいま。彼ら驚きました。彼らは自分の仕事時間を削り、交通費も自分で払って行くのに、患者に一銭も請求しません。一、二週問ごとに数回、こうした訪問が行われています。

真の成長は内面のプロセスです。超能力者はあなたが自分の内なる知恵の汲み出し方を学ぶのを助けることはできますが、瞑想を十分に行なえば、あなたは自分自身のための超能力者となって、外部の指導を必要としなくなります。しかし、最初は歪みのごく少ない超能力者や霊媒に確認してもらうと、とても助かります。

超能力や霊媒能力は必ずしも、霊的な進化とは相関していません。非常に高い能力を持つ霊媒がまったく利己的に、見下げ果てた行動を取る例もあります。その人が特別の超能力を持っているというだけで、彼を霊的に高い地位にまつり上げてはいけません。その霊媒は能力があるからきっと倫理的にも正しいだろうと思い込むと、その人にうまく利用され、犠牲者になりかねません。

ほとんどの場合、霊媒や超能力者は訓練を受けたセラピストや心理カウンセラーではない、ということも覚えていて下さい。自分の恐怖、症状、問題などが超能力者に見てもらえばすぐに、奇跡的に消えてしまうと期待してはいけません。あなたが砲えている問題を一気に解消して理解させてくれるような、治療的な説明を期待するのもやめましょう。それは彼らが行なっていることではありません。しっかりした訓練を受けていないので、ほとんどの人達は出て来たものを分析し、説明する力は持っでいません。彼らはそれを見つけ出して、ただあなたに伝えるだけです。あなたはもう一つの世界をのぞき見させてもらえるかもしれません。そして、それはあなたにとって、とても価値があり、癒しになるかもしれませんが、こうしたのぞき見は心理療法ではありません。
もし、霊媒が不正確なことや有害なことを言ったなら、その人は必ずしも賢明で心暖かいセラピストではない、ということを覚えておきましょう。必要であれば、他の人を判断する時と同じように、霊媒をきちんと見定めて下さい。あなたの力と誠実さを、誰かに完全に委ねてしまってはいけません。

高度の超能力や霊媒能力を持つ人々を私達は尊敬し、時にはうらやむことがみります。しかし、私達の真の目的を忘れてはいけません。私達はこの地上に、霊的再在として学び、成長してもっと愛と思いやりを深め、人生のバランスと調和を達成し、心の平和をいつも感じるようになるために生まれて来たのです。ごく少数の例外を除いて、私達は有名な超能力者になるために、ここに生まれたわけではありません。霊的な道を進むにつれ、そうした能力が増すこともあります。でも、それは目的ではありません。そうした力は道を豊かにし、小道に何条かの光を投げかけるでしょう。でも、それ自体が目的ではありません。何年か前、私は仏陀とその弟子の話を聞きました。ある日、彼らは静かな庭園で瞑想をしていました。すると、弟子の一人が深い瞑憩状態で、空中浮揚し始めました。地面から自分の体が浮き上がるのを感じて、彼はとても興奮し、自分の偉業を誇らしく思いました。彼は瞑想からさめると同時に、地面に落ちました。そして立ち上がると、仏陀のそばに行きました。
「私は空中浮揚をマスターしました」と弟子は言いました。
「それは良い」と仏陀は答えました。「だが、それに瞑想の邪魔をさせてはいけないよ」

向う側の精霊と文信できる人達がいます。どのようにあなたがその方法やメカニズムを解釈しようと、何かとてもリアルで強力なことが起きているのです。でも、誰かが亡くなって霊体に戻ったからといって、すぐにすばらしい知恵がその人に与えられるわけではありません。回じことは霊的ガイドや守護霊についても言えます。無知で愚かな霊から真にすぐれたマスターまで、いくつものレベルがあるのです。その違いを見分けるのがとても大切です。誰かが愚かで無知な霊をチャネルしている時に、どうして言われたことを真面目に聞く必要があるのでか?
どうすれば見分けることかできるのでしょうか? やはり、あなた自身の直観を使って下さい。愛のこもった内容やメッセージの正確さによって、高いレベルの精霊であるかどうか見分けられます。高いレベルの精霊はその体験が確かなものであるのを証明するために、ごく個人的な事柄に言及することがよくあります。

霊媒は向う個からのメッセージを、シンボル、寓話、ビジョンなどの形で受け取ることがあります。この部分はとても正確な場合が多いのですが、シンボルを解釈したり意味づける時に、霊媒はメッセージを歪曲しがちです。霊媒の解釈は誤解を招いたり、「庭がありますか?」とか、「花は好きですか?」などと質問したとします。クライアントはとても混乱する可能性があります。実は『そのイメージは、クライアントの亡くなったローズという名前の祖母に関するものかもしれないのです。理想としては、霊媒は自分が見たものをただ説明するだけにすべきです。「ローズはあなたにとって、何を意味していますか?」と質問すべきなのです。
メッセージが言葉の形で受け取られる時は、雑音のひどいラジオを聞いている時のように、霊媒がはっきり聞き取れないことがあります。こうした状態では、言葉が誤って解釈されかねません。交信している精霊に向って、霊媒がしばしば「イエスかノーか」の質問をするのは、そのためなのです。その答えによって、受け取ったシグナルを正確に読み、解釈しているかどうかわかるのです。

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すぐれた超能力者や霊媒は、私達を非常に助けてくれます。特に、向こう側の世界をかいま見せ、亡くなった人からのメッセージを私達に届けてくれる時は、有曜い存在です。彼らを通して、私達は死後の生活の現実、不滅の魂、家族や友人との再会のチャンスなどを体験できるのです。彼らは私達に、人生の生き方、価値感、大切なことと大切でないことなどについて、指標を与えてくれます。しかし究極的には、私達はこうしたことを直接、自分自身の中で体験する必要があります。体験した時、私達は初めて本当に理解します。亡くなった愛する人々を直接、聞き、見、感じることができると、私達はその人とほんのしばらく離れているだけだとわかります。神聖なるものを喜びと共に体験できた時に、私遥は古(いにしえ)の聖人や神秘家遠のように覚醒するのです。

出典:「前世」からのメッセージ
   ブライアン・L・ワイス 著
   PHP文庫 284ページ