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「苦行」は必要ないのです

2013.5.21(火)

霊性を向上させるために、「行(ぎょう)」は欠かせない、と考えています。
人は誘惑に弱く、感情や思考を野放しにしておいたのでは、カルマを修正する機会を逸してしまいます。

もっとも、<カルマや輪廻転生などは一切認めない>という立場に立つのであれば「行」の必要性を説いても無意味ですが、当『虹の学校』は、カルマも輪廻転生も前提と考えていますので、そこに共感される方は「行」のことを考えてみてください。

さて、一般に「行」と言いますと、大きく「課行」と「戒行」に分けられます。「課行」は「これを欠かさずにしなさいよ」ということであり、「戒行」は「こういうことはしちゃいけませんよ」ということです。

たとえば、下座行(げざぎょう:他の人がいやがるようなことを率先して行う)などは「課行」であり、不悪口戒(ふあっくかい:悪口言っちゃいけませんよ)とか不偸盗戒(ふちゅうとうかい:他の人のものを盗んじゃいけませんよ)は「戒行」ということになります。

こうした戒律は各宗教で、様々に規定されていますね。時にそれがあまりにも常識を欠いたものである場合には社会問題になることもありますが、「善いことをしなさい」「悪いことをしてはなりません」は、基本的にはどの宗教にも見受けられる行動規範です。

カルマとは、サンスクリット語で「行為」を意味しますが、「行為」と言っても、思考と行動が結びついた概念を指しています。(行動の前にはそれを引き出す思考があることから)これらは前世までの生き方からもたらされ、さらに今世の生き方がプラスされて、来世へと持ち越されます。

この世の幸、不幸はみなカルマを原因としており、カルマから脱却しないことには、真の平安は訪れません。そこでこれを矯正していくのが「行」というわけです。
カルマは思考と行動が結びついた概念ですが、「課行」と「戒行」の考え方としては、行動を意識的に変えることによって、そこに結びついた思考をしだいに矯正していくことを狙っています。

たとえばいつも尊大で我が者顔に振る舞っている人に、トイレ掃除を課すとします。「この俺様がトイレ掃除なんかやってられるか」と思っても、それに取り組んで行く中で、発見や気づきがあり、頑な態度が変化して、考え方も変わって行く可能性があるわけです。

このように「行」とは、ごくごく身近な取り組みで出来るものです。よく見られる誤解として、「行」というものは、何か特別なことをしなければならないのではないか。出家したり、滝に打たれたり、「苦行」を行わなければならないのではないか。というものがありますが、そんなことはありません。

時に、宗教団体がそうしたことを強調する場合がありますが、霊界研究が進んだ今日では改められるべきだと私は思っています。ご承知のように、お釈迦さまは「七年麻麦の行」(一日に麻と麦の実を一粒しか食さずに苦行を続ける:六年とする説もあり)を行ったあと、「苦行」は無意味だと悟って「瞑想行」に行法を変えられました。

このことが、相変わらず苦行を続ける行者からは「堕落」と批判を受けたわけですが、その後ピッパラ(菩提樹)の木の下でサマーディ(三昧:深い瞑想)に入られ、いわゆる悟りを得ることになります。つまり、悟りに至ったとされる行は「瞑想」によって得られたのであって「苦行」では成就しなかったのです。

「苦行」が魅力的に思えるのは、険しい山登りに似て、苦しみを超えた先にこそ何かがあるような気がするからです。確かにそれをやり遂げれば、達成感という充実が得られるでしょう。しかしそれは感情の満足であって、時間が経過すれば薄らいでいき、また充実感が欲しくなる。結局は真のカルマ解消とは違った錯覚しかもたらしません。

それに、「苦行」は体や心を痛める可能性もありますし、我慢しながらする「行」はたいていの場合、長続きしません。苦しいので、なんだかんだと理由をつけては遠ざけるようになってしまうのです。ですから、我慢せずに続けられる「行」というものを工夫することが大事です。

幕末三大新宗教の一つである金光教の教祖、金光大神(こんこうだいじん:1814〜1883年)は「体に水をかぶるより、心に水をかぶれ」と語ったそうです。言い得て妙。まさにこれが「行」というものの本質を表していると思います。「苦行」よりも、心に水をかぶる方がずっと重要であり、意味があると語っているわけですね。

なぜならば、カルマとは、解りやすく言えばその人の「心グセ」であり、「心グセ」を矯正して行くことの負荷が、水をかぶるということになるわけです。だとすれば、人はただ毎日を生き抜くだけで「行」をしていることになります。何も、苦行をしたり、お経を詠んだりする必要はないということです。

ただ、毎日生きてゆく中で突き付けられる課題に対して、ちゃんと向き合い、自省し、為すべきことを為していけば、それがすでに「行」になっているということ。それに勝るものはないのだということです。そのベースの上に、祈りやマントラや瞑想をプラスしていただきたいということです。

具体的には、次のような優先順位で、取り組みをしてみてください。
1.体のケア(清潔、体操、食事バランス)
2.家事をこなす(イヤだなという気持ちから、楽しく工夫してできるようになるまで)
3.自分の性格上の欠点を洗い出し、出さないように努める
4.自分の役割を一生懸命に果たす
5.利他の精神を持って行動する