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霊界のメソッドビルボード.jpg

はじめに

友人から教えて貰ったことなのですが、「なるほどなぁ」と感心した言葉があります。
それは、「人生において重要なことほど、緊急性が低い」というものです。

あなたにとって、「人生における重要なこと」とはなんでしょうか?
将来に対する不安? 家族のこと? 健康状態のこと? お金のこと? 就職のこと? それとも結婚のこと?

でも突き詰めれば、最後は「生と死」というものが、いちばん重要なことになるのではないでしょうか。

  • なぜ生まれて来たのか?
  • なぜ生きていかねばならないのか?
  • 生きるとはどういうことか?
  • どう生きたらいいのか?
  • 死んだらどうなるのか?

その前提の上に、次の段階の「重要なこと」がある。

  • 一生の仕事に何を選んだらいいのか?
  • 収入をどう得たらいいのか?
  • 結婚をどうしたらいいのか?
  • 老後をどうしたらいいのか?
  • 病気をどう克服したらいいのか?
  • 愛憎をどう克服したらいいのか?

悩みの質は今ふうに変わったとしても、その原点にあるものは、今も昔もあまり変わりがありません。

釈迦は、人生上の悩みを「四苦八苦」に分類しました。

■人として誰も逃れることができない基本的な四苦

  • 生(しょう)‥ 生まれてきたことの苦しみ
  • 老(ろう)‥‥ 老いてゆく苦しみ
  • 病(びょう)‥ 病いに冒される苦しみ
  • 死(し)‥‥‥ 死を迎える苦しみ

■四苦をベースにして、生きている限り生じて来るプラス四苦(計八苦)

  • 愛別離苦(あいべつりく)‥‥ 愛する者と別れなければならない苦しみ
  • 怨憎会苦(おんぞうえく)‥‥ 嫌な人と出会わなければならない苦しみ
  • 求不得苦(ぐふとくく)‥‥‥ 求めるものが得られないことの苦しみ
  • 五蘊盛苦(ごおんじょうく)‥ 五蘊(心身)から際限なく湧き上がる欲求から
  •                生じる苦しみ

あらゆる「悩み」という現象は、みなこの分類の中のどこかに含まれる。
それが大哲学者釈迦の下した分析です。
いちばん最初の「生」。生まれて来たことそのものが既に苦しみだというのですから、全部が含まれるのも道理です。

仏教では、生きることを「苦」と考えます。これは欧米人の文化からすると異質で異様です。
彼らの中では、「人生とは楽しむもの」というのがあるからです。
欧米人に「人生とは苦である」と言ったら、たぶん「なんで、そんなふうに捉えるの?」と驚かれるでしょう。

では楽しんではいけないのでしょうか?
そんなことはありません。
人生は大いに楽しむべきですし、楽しくふるまうことも大切です。
しかし、そうそう都合のいいことばかりは起こらない。やっぱりどこかで「苦」が待ち受けている。
仏教が「四苦八苦」を強調するのは、ものの道理を知って、いざというときに備えるためです。釈迦はそのための対処法も「八正道」ということで示されました。

ところが、こうした根源的な問題に真正面から向き合うことは、「緊急性」という点から言えば、いかにも低い。
「人生いかに生きるべきか」などと考えるよりも、明日までに企画書をあげなければならないとか、子供のお弁当を作らなくちゃいけないとか、連ドラの続きを見なければならないとかの方が「緊急性」がずっと高い。

そこで、「緊急性」が高いことばかりを追いかけて生活をしておりますと、いつの間にか「人生において重要なこと」に向き合う時間をなくし、気がついてみたら婚期を逸していた、病院で癌を宣告された、といったことになりかねないのです。
他ならぬ私自身がそのようにして、妻の出していたサインに気がつかず、癌で死なせてしまうという最悪の事態に直面させられたのです。

人は、本当に困ったときにしか「気づき」を起こさないものなのです。

このコーナーで、私は「霊界」について体系的にお話をするつもりです。
なぜ「霊界」かというと、「四苦八苦」がどうして生じるのか、その根源的な原因を追究したときには「霊界」を外しては語れないからなのです。

病気に対しては医者がいて、生き方に迷ったときにはそれぞれのコンサルタントがいる。
それらが社会に備わっているということは大切なことです。先ずそこが充実していなければなりません。
しかし、それでもなお超えられない、解決できない問題がある、悩みがある。
そのときに「霊界」の法則を知っているのといないのとでは、問題の理解の仕方も、対処法も全く違ってくるのです。

私は霊能者でも学者でもありません。一介の市井の研究者、いや悩める行者と言った方がいいかも知れません。
そんな自分がなんでわざわざ「霊界」のことを、というためらいがないわけではありません。
しかし、インターネットを見ても、私が求めるものがなかったのです。

現実を超えた世界に起因する悩みに関しては、これまでは「宗教」がそれを救う役割を担っていました。
しかし「宗教」には問題が多過ぎます。宗教の強みは、その伝播力と強制力にあると思いますが、同時にそれは大きな問題でもある。

多くの宗教は信仰の美徳を説いているわけですが、その信仰の対象は「我が神」に過ぎないものが殆どです。
そうなりますと、他の宗教が報じる「他の神」と対立し、甚だしい場合には戦争まで引き起こしてしまう。実際、それが世界の歴史です。

これではなんのための宗教か解らない。
また他方では、信仰者特有の「選民意識」というものを防止する手立てがありません。
なぜならば「この神を信じた者だけが救われる」という「選民意識」こそが、布教の強力なモチベーションになるからです。

私は「神」を否定しているわけではありません。
しかしもし「神」というのならば、それは「Central of Univers」しかない。
あらゆる人にとって、共通の、ただ一つの神。
そうでなければ論理的な矛盾です。

このコーナーでは、私は、これまで書物などから得た知識、人から教えられたこと、実際に自分が体験したこと、自分が思推したことを交えて、現時点で納得したことがらについて記していくつもりです。

ただ、私も苦悩する行者の一人に過ぎませんので、途中で考えが変わったり、新たな認識が生まれたりする可能性があります。その場合には、どんどん訂正して参ります。
そのことを、どうかご容赦ください。

世に「霊能者」と称する人は大勢います。しかし、ある時期、実際に現代の霊能者と接してみて解ったのは、霊能者は霊能で得た知識を「体系化」するのが苦手だということでした。
「私が見たこと、知ったことを、その時の私の言葉で」しか語れないのです。
しかも「あの世」のことを優先するあまり、世事にうとく、浮き世離れした感覚の人も多い。

これでは、それぞれの霊能者が言うことを、「信じるか」「信じないか」ということで話が終わってしまいます。
なぜかと言えば、ベースとなる基礎知識を、聞く側の者がほとんど持っていないからです。
また物質主義に依拠している人からすれば、すぐに「インチキだ」「サギ師だ」という話になってしまう。

しかし、基礎知識を持っている者からすると、(その人が真の霊能者であれば)A霊能者とB霊能者では、言葉は違っていても同じことを語っている、と気づかされる場合が少なくありません。書物に書かれていることとて同じです。
これは実に驚くべきことです。

洋の東西を問わず、国籍や人種も超えて、過去も現在も、共通した「霊界」の認識があるということは‥‥。
そうお思いにはなりませんか?

私は、レベルや記述方法や着目点が異なるこうした「霊界」の知識を、「要するにどういうこと?」ということで、体系化して示してくれる人はいないものだろうかと、ずっと思っていました。
たまに精神世界に詳しい人がいたとしても、たいていはマニアックな知識に関心が高いばかりで、一般人とはかけ離れたところに居る。

結局のところ、自分でやるしかない、と思うようになりました。
そしてまた、それが自分の役目かもしれない、と思うようにもなりました。

でもどうか、ここで私が書くことを、信じないでください。
鵜呑みにしないで、それぞれで検証してください。そして、何か新しい発見がありましたら、私にも教えてください。

「霊界」の話など、緊急性の点から言えば、最も低いことの一つでしょう。
しかし、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた時、人はどうしても向き合うことになるのです。
その時で結構です。ああそういえば、インターネットにああいうのがあったな、と思い出していただければ。
その時に、少しでもお役立ていただけるような記述を目指して参りたいと思います。

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運営者
今 成 宗 和
真理研究家
カウンセラー
1954年 生まれ
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