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はじめに

「病気」は、今も昔も、人間にとって一番の悩みごとではないかと思います。
しかし身近な人や自分自身が実際に「病気」になって、初めてそのことが意識される。
そのギャップが激しいのも、「病気」という悩みごとの特徴と言えるでしょうか。

私自身は、入院経験はたった一回きりで、それも寄生虫感染症の駆除のために5日ほどベッドに居たというだけですから、幸いなことに大病の経験はありません。
しかし子供のころから、どちらかといえば虚弱な体質で、様々な病気や体調不良を経験し、悩み続けてきました。

子供の頃は腹痛と眼病とインフルエンザです。とにかくしょっちゅうこのいずれかを患っていました。
それと病気と言えるかどうかは解りませんが、中学を卒業するまで夜尿症でした。これは多分に心因性のものです。それが証拠に、中学を卒業して家を出た途端にピタッと治まったのです。自分にとって、いかに家庭というものが嫌なものだったのか、それを物語る症状です。

結局この精神的な弱さは私の最大のウィークポイントで、大人になってから発症した病気も大部分が心因性、神経性のものでした。
これまでの病歴を挙げると、 光彩炎、ギックリ腰、肋間神経痛、花粉症、無胃酸症、自律神経失調症、アトピー性皮膚炎、カポシ水痘様症、関節リウマチ、痔瘻、パニック障害、鬱病、過敏性大腸炎、膀胱炎、緊張性筋炎症候群、前立腺炎、神経性胃炎、五十肩といったところでしょうか。

この他、20代のころは喉と気管支の痛みに悩まされましたし、胃下垂のために太れず、体重が50キロを切っていました。レントゲンを撮ると、胃が骨盤のところまで下がっています。胃下垂は病気とも言えないような、一見大したことのない症状のように思えますが、食べ物の吸収が悪いので、不定愁訴の原因となります。

これらの中で特に辛かったのは、 アトピー性皮膚炎と鬱病です。
アトピー性皮膚炎は40歳を過ぎてから発病し、専門クリニックに通って更に悪化。 関節リウマチと、鬱病まで併発しました。
そのクリニックから「今まで4600人治療して来ましたが、あなたのような人は二人めです」と、お手上げにされたときには、本当に生きた心地がしませんでした。

クリニックからは見捨てられ、赤く腫れ上がった顔と、全身に出来た潰瘍とリウマチの痛みに耐えかねて、 心が張り裂けそうでした。
クリニックからトボトボと帰る道すがら「この先どうなるのだろうか」と、なにか底なし沼に落ちて行くような恐怖感に襲われたことを覚えています。
そしてサングラスを掛け、顔を隠して生活しているうちに、ある日パニック障害が起き、だんだんと鬱病に移行していったのです。

またさらに悪いことは重なるもので、私がこの鬱病に罹っているときに、妻にスキルス性の胃癌が発見され、わずか十ヵ月後に死んでしまいました。
この間、セカンドオピニオンや、ベッド探しや、在宅看護や、ホスピスなど一通りのことを経験しました。

皆さんはご存知でしょうか? いま東京では、死に逝く人のためのベッドはありません。治る見込みがないと判定されると、病院から追い出されてしまうのです。
治る可能性があって、空きベッドを待っている患者さんが大勢いるからです。

ホスピスがあるじゃないか。確かにそうですが、ホスピスへの入院は最低3ヶ月待ちです。そうしたとき、死の3ヶ月よりも前に、あなたは肉親のホスピスへの入院を決断し、それを患者本人にも伝えることができるでしょうか?

結局のところ、それができず死を迎える間際になって行く当てがなくなり、ガン難民となる人も東京では少なくありません。
医療の発達とは矛盾した、過酷な現実がそこにはあるのです。
私は病気と、現代の医療というものの矛盾について、深く考えずにはいられませんでした。

現代の医療は、「病気」を、排除すべき「悪」と捉えて、それをやっつけるところにばかり技術が向かっているような気がします。
しかし患者や患者の家族からすれば、「病気」そのものというよりも、そのときの「心」の状態、「心」のあり方といったものの方が重要な位置を占めている。

医療が高度化する前は、そうした「心」のケアまでしてくれる医者こそが名医とされていました。
このことは『赤ひげ』や『本日休診』といった映画を見るとよく解ります。
しかし現代の高度医療は、あまりにもフィジカルな面に向かい過ぎていると思います。

その結果、「心」の問題はマスキングされてしまう。
医者は、「病気」が治れば「心」の問題などは解消されるとの立場に立っており、「心」のケアまではしません。
それは患者やその家族が自主的に処理する問題である、という原則のようなものが色濃くあるように思います。

しかし私は、逆だと思います。
昔から「病いは気から」と言うように、「病い」を作っているのは「気」です。
それは迷信のようなものではなくて、ちゃんとした理由のあるメカニズムなのです。
つまり、「病い」を治せば「心」がケアされるのではなく、「心」がしっかりケアされれば「病い」が治るのです。

私は医者ではありませんので、「何を勝手なこと言ってやがる」と反発されるのは覚悟の上です。
しかし、ここに記載することが、妻が癌に罹ったときや、私がうつ病になったときにあったらな、と思うのです。

ふだん健康であるときには、「病気」はあまり意識されません。しかしそれだけに、突如自分や身内が病気になると、どうしてよいか解らず、焦りや不安に駆られてしまう、ということが起こりがちです。
そんなときに、「こういう見方もあるよ」ということで、参考にしていただければ幸いに思います。

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