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第三章 治療への取り組み

いま「鬱病」で苦しんでおられる方へ

私の「鬱病」体験
私に最初のパニック障害が起きたのは2001年でした。通勤途上の電車の中で、だんだんと冷や汗が出始め、遂には息苦しくなって途中駅で電車を降りました。
それが、以降5年に渡った「鬱病」の最初の徴候でした。

その2年前の1999年にはアトピー性皮膚炎を発症していました。年齢が45歳に差し掛かったときで、焦りを感じていた私は、事務所を移転したり、新事業に手を出したりと、生活上のいろいろな変化を経験していました。
そんなときに、パニック障害が突如襲ったのです。

パニック障害については、名前だけは知っていましたが、まさか自分がそうなるとは思ってもみませんでした。
その後何度か発作を繰り返しながら、パニック障害はしだいに本格的「鬱病」へと移行していったのです。
このころの私は、言い知れぬ不安におののきながら、朝起きたら先ずインターネットで「鬱病」のチャットを覗きに行くといった毎日でした。そこに、何かしらの脱出の糸口を見出そうとしていたのです。

「鬱病」の辛さは、何と言っても、自分を捉えきれないというところにあるのではないでしょうか。
これが普通の「病気」なら、その「病気」を確認したり、判断したりできる自分というものがいます。
しかし「鬱病」の場合は、脳そのものが「病気」なのですから、それを外から眺めるということができないのです。

客観視できる自分がいないため、快復に向けての手立てを講じることもできず、自分はずっと病気の中に埋没しているしかないのです。
後から後から沸いて来る打ち消し用のない不安と、恐怖に包まれた毎日。
朝目覚めると、生きている喜びどころか、「ああ、今日も一日過ごさなくてはならない」という不安でいっぱいでした。

「鬱病」の辛さは他にもあります。外見的にはあまり「病気」には見えないために、周囲の理解が得られないという点です。
周囲の人たちも「鬱病」の経験がないので、どう接していいのかも解りません。この結果、「鬱病」患者は孤独に陥るしかなく、気持ちが解る人を求めてインターネットのチャットなどに入って行くのです。

私は、冬から春先に掛けてはまだ少し安定しませんが、「鬱病」という状態からは脱しました。
そのため、苦しかったときの気分をだいぶ忘れてしまいましたが、そのころ強く感じていたのは、「鬱病」から脱した人のアドバイスがインターネット上に殆どないということでした。

「鬱病」途上の人の話はたくさんあるのです。
しかしその頃、本当に知りたかったのは、「鬱病」から脱した人のアドバイスでした。
でもそれが殆どありません。きっと治ってしまった人は、あえて病気のときを振り返る気にはなれなかったのでしょう。

そこで、有効かどうかは解りませんが、参考になればと思って、私の体験をベースに特別に「鬱病」に関しての一ページを割きました。
いま苦しんでおられる方に、少しでもお役に立てればと願って止みません。

救いになったこと
「鬱病」のときには、何か底なし沼に呑み込まれて行くような、そしてそのまま一生浮かび上がれないような、そんな気分に完全に支配されていました。

そのときに、私が相談したのは、私のアトピー性皮膚炎を治してくれた某薬局の女の先生でした。
私はこの先生にアトピーで助けてもらって以来、大きな信頼を寄せていました。それでダメもとで「鬱病」のことも聞いてみたのです。そうしたら先生はこう言われました。
「『鬱病』って、ずーっと『鬱病』ってことはないのよ。5年くらいすれば治るの。『鬱病』って必ず治るのよ」

「え?」と 私は思いました。底なし沼に呑み込まれて行くような気分のときですから、とても本当とは思えませんでしたが、後から振り返ってみると、この言葉が随分と救いになりました。
そこで先ず同じ言葉を、いま苦しんでいる人に贈ります。
「5年くらいは掛かると思いますが、『鬱病』は必ず治ります」

もう一つは、「鬱病」関係の本を読んでいて、その中に見つけた言葉です。
「先ずは、病的『不安』から、正常『不安』への移行を目指せ」
とあります。これも気分を楽にしてくれました。

「鬱病」者から見ますと、病気でない人というのは、みんな「鬱」とは一切関係のない元気ハツラツな人のように見えます。
そこに自分とはかけ離れたギャップを非常に強く感じ、孤独感が募るのです。しかしこれは錯覚です。
普通の人にも、生きている以上「不安」は付きものです。ただ「鬱病」者の場合は、その程度がひどいというだけです。

そこで「治そう」と思うのではなく、病的な「不安」から、正常な「不安」へと移行させることを目標にするとよいということです。

「鬱病」者は、病気を客観視すべき「脳」自体が壊れている状態ですから、「治そう」という発想はギャップがあり過ぎて、「鬱病」者にはピンと来ないのです。
また「鬱病」になるような人というのは、正常なときから厭世的気分が強い傾向を持っていますから、この点でも元気ハツラツなイメージは、ギャップがあり過ぎるのです。

そこで、先ず正常な「不安」へ移行することを考え、「脳」の状態を客観視できる程度にまでに快復させておいてから、次に「不安」の量を徐々に引き下げて行くというプロセスを採ることを考えていただきたいということです。

とりあえずの処置
私は精神科へは行きませんでした。これは、例の薬局の先生に相談したとき「病院へ行きたい?」と訊かれて「行きたくない」と答えたからです。
そこで、精神科へは行かずに改善する方法を考えて貰いました。ですから私は、抗鬱剤は服用した経験がありません。(精神安定剤は何度かありますが、副作用があるのですぐにやめました)

代わりに私は「低分子キトサン」というサプリメント(一粒170mg)を、朝夕5粒ほど服用しました。
このサプリメントは、私の場合2週間ほどで効いてきて、なんとなく不安感が薄らいできました。遅い人でも1ヵ月ほどで効果が現れるようです。

蟹の甲羅からの抽出物であるキトサンが、どうしてそのような効果をもたらすのかは解っておりません。(製薬会社にお勤めの研究者に訊いたところ「セロトニンの分泌を活性化するのではないか」との話でした)
しかし、私には効果をもたらしたということは事実ですので、そのことを書いておきます。
ただし他の方への効果を保証するものではありません。あくまで参考にしていただいて、服用するしないはご自分でご判断なさってください。

注意点として、「低分子」のものでないと、脳の血管は細くて浸透して行きませんので、もしお買い求めの場合はそこに注意してください。
また私の経験では、副作用のようなものは一切感じませんでした。

このようにして、とりあえずの処置を行いました。
「低分子キトサン」はその後、1年ほど服用を続け、その後は、ちょっと症状が出たなと思ったときに飲む程度になりました。

散歩のすすめ
「鬱病」は日照時間と大いに関係があるようです。そのため北欧では冬場に「鬱病」になる人が多いそうです。私も、毎年、10月過ぎからずーっと気分が下がって1月に一つの底が来て、2月にやや快復すると、3月、4月でまた落ち込む、というパターンを繰り返しています。

そこで、冬場は特に日光に当たるように強制します。
「鬱病」になりますとベッドから出られなくなってしまいますが、そのままでいますとますます悪循環に陥ってしまいますので、無理にでも外に出て日光を浴びるようにします。
朝早めに起きて、午前中の太陽の光を浴びるようにしましょう。
鬱病だから → 行動出来ない、という状態を、行動することによって、逆から修正を図るのです。

そして、外に出たら、大股の早足でリズムよく散歩をするようにしましょう。とぼとぼと歩いていてはいけません。
目の前の一歩を差し出すことに集中して、他には何も考えずに、タッタッタッと歩き続けます。汗をかくまで、30分から1時間くらいは歩くことを日課にしてください。

この歩く、自転車に乗るといった繰り返し運動は、神経伝達物質の分泌を正常にする働きがあると言われています。
それだけではなく、日に当たることや、目の前の歩くことだけに集中すること、体を動かして疲れさせることなども、「鬱病」の改善に大きな効果があります。

ジャーナルのすすめ
ジャーナルとは、ノートに自分の思いや、気がついたことを記述していくことです。
「心」の病いは、脳がコントロールできずに暴走している状態ですので、その捌け口を外側に用意するのです。そうしませんと、頭の中で、考えがどうどうめぐりをしてしまい、負荷が掛かって頭が破裂しそうな感じになってしまいます。

そこで、苦しいときには、思いついたこと、感じたこと、いまの苦しさなどを、どんどんノートに書き出してください。読み返す必要はありません。とにかく、ノートに書く作業を続けて下さい。
私は、無印良品で買ったA5のリングノートを愛用しましたが、「鬱病」期間中は5冊ほど書いたと思います。
このジャーナルは、今も続けています。

アファーメーション
気持ちが動転しているとき、落ち着かないとき、ひどく沈んだとき、こんなときにアファーメーションが役に立ってくれます。苦しいときの、頓服薬です。

「アファーメーション」のページに、私が実際に使ったアファーメーションを記しましたので、書き写すなりしてご活用なさってください。こちらLinkIcon
また、ジャーナルを付けている中で、ご自分で思いついたことなども、書き出してみるとよいでしょう。

心の持ちよう
京都大学霊長類研究所に、脊髄を損傷し寝たきりになったチンパンジーが居たそうです。しかしこのチンパンジーは、寝たきりになりながらも、研究者が来ると唾を飛ばしたりして、普段と変わらないイタズラをし続けたそうです。

なんにも自分の状態を心配していない。ただ今を生きているだけだというのです。
結局、研究所で結論づけたのは、人間は未来を見るから「不安」になるのだろう、ということでした。

このことから言えるのは、「鬱病」者は、普通の人よりも「未来」を見過ぎだということです。「未来」を見過ぎるので「不安」が止まらないのです。
「未来」を見る「心」が暴走した状態と言えるでしょうか。
ですから一つのヒントとして、この暴走状態をストップさせることが有効に作用すると考えられるわけです。

ここでご提案した、散歩、ジャーナル、アファーメーションは、まさに「心」の暴走をストップさせ、意識を他のものに向けさせる方策になっています。
これら目の前のやるべきことに夢中になることによって、「未来」を見過ぎる暴走をストップさせるのです。

私は、そうすることで「鬱病」から脱し、正常「不安」状態へと移行させることができました。
その後は、春先の不安定な時期をやり過ごしながら、毎年少しずつ「不安」も解消していっています。

断食療法の可能性
これは私が実際に試してみたわけではないので、情報提供だけということになりますが、ソヴィエトではかなり以前から「断食」を「鬱病」治療に適用し成果を上げているそうです。
ある精神科の入院患者でたまたま食事を摂らない患者が居た。試しにその患者を放っておいたところ「鬱病」が改善したことから、臨床試験を進め有効性が確かめられたというのです。

この情報は長らく西側には出なかったので、あまり知られてはいないのですが、近年ドイツなどでも行われているそうです。
「断食」は生体の防衛反応として、生体を正常に維持するための機能が活性化されるので、その過程で脳内伝達物質のセロトニンの分泌が増えて改善に向かうということです。

薬を使わないので副作用もありませんし、試してみる価値は大いにありそうです。
ただし「断食」は、専門家のきちんとした指導に従わないと危険ですので、そういう専門機関を探してみてください。

ご家族の方へ
「鬱病」者を家族に持った人は、どう接したらよいのか、きっと悩まれていることでしょう。
人から「励ましちゃいけない」と聞いたが、じゃあどうすればいいのか、と思案に暮れておられることでしょう。

一般に人は「あれはいけない」「これはいい」といった情報を得ると、その部分だけに注意を向けてしまい、なぜそうなのかという因果関係までは考えようとはしません。
そこでチグハグなことが起きるのです。ダイエット情報などはその典型です。

でもなぜそうなのか、という元のところを解っていれば、対処法は自分で考えて導き出せます。
「鬱病」者をなぜ励ましてはいけないのでしょうか?
これには「鬱病」者特有の心理を考える必要があります。

「鬱病」者の思考は次のように進みます。
たとえば、会社でリストラの噂があったとします。そうしますと、まだその対象者も発表されないうちから、

  • 「誰がクビになるのだろう」
  • 「きっと自分だ、自分しかない」
  • 「クビになったらどうしよう」
  • 「もう家族を喰わせていけない」
  • 「家族が喰えなくなったどうしよう」
  • 「飢え死にだ。もう生きていけない」
  • 「もうダメだ。自殺するしかない」

と、進んでしまうのです。
傍(はた)からしますと「そんなバカな!」と思うかも知れませんが、これが「鬱病」者特有の思考なのです。

「鬱病」者は、自分が何も「できない、動けない、存在価値すらない」という意識でいっぱいです。その思いが、骨身に沁みているのです。
そんな状態のときに、「元気出しなさいよ」「クヨクヨしちゃダメよ」などと言われますと、自分の「できなさ」「ダメさ」が、かえってズシーンと強調されてしまうのです。

つまり、周囲の人たちが描く理想像が、現在の自分とはかけ離れたところに設定されていることを思い知ることになるので、「やっぱり誰も解ってくれないんだ」という思いが増々強くなってしまうのです。
そのことを「甘え」だとして、突き放す人も出て来るでしょう。
「鬱病」者はそれを敏感に感じ取り、孤独感をさらに募らせます。

「鬱病」者の周囲に居る方々、特にご家族に解っていただきたいのは、第一にこれは「病気」だということです。
第二に「甘え」ることは、人としてそれほど悪くはない、ということです。
人は多かれ少なかれ、誰かに「甘え」て生きているのです。「甘え」というのは、コミュニケーションの一つの手段です。要は上手に「甘え」られればよいのです。

しかし「鬱病」者は、真面目で潔癖性の人が多く、上手に「甘え」るということがなかなかできません。
そこで、自分の殻に閉じこもるしかなくなってくるのです。
しかし「鬱病」者の本音は、周囲を拒絶したいわけではありません。むしろ、今のような自分をなんとか解ってもらいたい、という欲求を強く持っているものなのです。

ですから、周囲に方にお願いしたいのは、
第一に、改善に向けては低い目標を設定するということです。元気ハツラツを望んではいけません。先ず、正常「不安」の状態に持って行くことを目標にしてください。
第二に、「病気」だとの認識を持って、患者に接してあげてください。「甘え」を許してあげてください。
第三に、患者は理解者とのコミュニケーションを求めています。このコーナーで記述した改善策などを、患者と相談しながら一緒に「病気」に向き合って行くようにしてください。もし会話が難しいようであれば、お互いノートに文章を書いてそれを交換する方法を試してみてください。

自殺について
「鬱病」者で気がかりなのは、やはり「自殺」です。
平成10年から、国内の自殺者は連続して3万人を超えており、そのうち男性が2/3を占めています。
人が「自殺」に至る前には、多くの場合において「鬱」症状の徴候があっただろうと、私は推測します。
私も、子供時代からそういう傾向があったのですが、「鬱病」のときには毎日「自殺」を考えていました。

しかし霊的観点から申し上げますと、「自殺」しても、それで楽にはなれません。
死んでも、「霊魂」は生き続けるからです。
人は、死んでも死ねないのです。
そのときに、魂が苦しんでいるときの状態が固定され、あの世に行っても苦しみ続けることになります。

死んで霊界に行ったときには、物理的次元である肉体を持っておりません。そのため、この世を知覚するセンサーを失い、ちょうど夢の中にいるときのような状態になっています。
人は夢の中では、それが夢だとはなかなか気づけません。夢の中でも体を持って思考をめぐらしながら行動しています。

それと同じように、「自殺」した場合には、自分が死んだことにはなかなか気づかず、「苦しい」という思いだけを延々と持ち続けて、あの世で生きる可能性が高いのです。
「孤地獄」に落ちるか、さもなくば「幽霊」になってこの世を彷徨(さまよ)うかです。

あなたが今世に輪廻転生したきたわけは、過去に清算し残して来た「カルマ」に再び向き合い、今世で解消するためです。
いま苦しいのは、その機会を与えられているのですから、どうか勇気を持って、ふんばって、この期間を乗り越えて行っていただきたいと思います。

霊的にみた場合の「鬱病」の原因
私は、物心ついたころから、生きていることが辛くて仕方ありませんでした。
同じような傾向を持つ人なら、その感覚を解っていただけると思います。
しかし、そうでない人には「え、どうして?」と不思議がられることでしょう。

理由もないのに「死にたい」気持ちが強く沸いてくる。「鬱病」者の全部がそうだとは言いませんが、思い当たるところがある人も、きっと多いのではないかと思います。

人はなにか事件があると、どうしてもそこに合理的に解釈できる理由を見出して安心しようとします。
そこで、さしたる理由もなさそうなのに「死にたい、死にたい」といっていた人が、実際に「自殺」してしまいますと、周囲は大いに混乱することになります。
しかし、霊界にまで目を向けますと、やはり理由はあるのです。

「鬱病」者の中でも、元々鬱的傾向が強かった人や、厭世的気分の強かった人は、前世でもそうした傾向の持ち主でした。
また重い精神病を患っているような人は、前世で自殺したか、殺されたか、なんらかの形で非業の死をとげた可能性が高いのです。
そのため、その記憶がチャクラに残り、今世でも、理由もないのに「死にたい」気持ちが沸いてくるのです。

また、単に前世もそうだったということではなく、そうなった行動上の問題や、物事の捉え方の問題が、前世においてあったということです。
達成感不足、不満足、嫌悪感、憎しみ、愛情のもつれ、といった「心」の問題です。
それが、今世「鬱病」といった形で出ているのです。仔細に検討してみれば、今あげたようなご自分の「心」の問題に気がつく筈です。

チャクラとの関係で言いますと、ヴィシュダー・タイプ、マニピューラ・タイプの人にこうした傾向が多く見受けられます。
詳しくは、二章の「チャクラ」と「病気」の関係を参照してください。LinkIconこちら
「鬱病」の渦中にある間は、余裕がなくて、そうした問題まではとても考えられないでしょうが、快復した暁には、次にそうしたことにも目を向けてください。
その課題に取り組むことが、最終的に、「病気」を引き起こした真の原因を解消することになるのですから。

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